「4番サード」と言えば…語り継がれてほしいプロ野球繁栄の歴史

[ 2018年11月26日 13:15 ]

「ミスタープロ野球」長嶋茂雄の華麗な守備
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 【伊藤幸男の一期一会】時代は変わったという現実に直面した。12球団が104人の「金の卵」を指名した平成最後のドラフト。記者が入団交渉を取材すると、ミレニアム世代の高校生が目を輝かせながら将来の夢を切り出した。「4番・サードを目指したいんです」

 往年に野球好きなら誰もが即座に連想するフレーズ。周囲の報道陣と目配せしながら「4番・サードで誰を思い浮かぶ」と質問すると「いえ、特にいません」との答えが…。会見が一段落し、改めて「長嶋さんは知らない」と聞き返すと「巨人の監督だった人ですよね?すいません。原さんの監督時代もよく覚えていないんです」と謝まられてしまった。

 そりゃそうだ。松井秀喜氏(ヤンキースGM特別アドバイザー)が米国に渡って以降、地上波でのテレビ放映は減少の一途。現役球児は、衛星放送以外はプロ野球に触れる機会が少ない。しかも練習でヘトヘトの帰宅後、深夜のスポーツ報道番組はスルーして就寝するだろう。大谷、柳田ら規格外スターの情報はつかんでも、10年前のプロ野球は分からないのは当然である。

 とはいえ新天地に挑むルーキー、そしてファンにも知って欲しいことがある。プロ野球をエンターテインメントに昇華させ「ビジネス」として成立させたのは長嶋茂雄氏だった、ということを―。60年前、立大から巨人に入団したミスターが、神宮の東京六大学ファンを後楽園に連れてきたからこそ、プロ野球が「興行」として発展した歴史がある。

 当時、東京六大学のスターは卒業後、社会人野球に進むのが「常識」だった。プロ野球は高額な契約金が絡むため「職業野球」と呼ばれるなど色眼鏡で見られることがあった。事実、プロ球団のオーナー企業より社会人チームを持つ企業の方が知名度も高かった。従ってアマ野球の最高峰・都市対抗出場を目指し、引退後は社業に専念。わざわざ将来が不透明な世界に飛び込む必要はなかった。

 そこに長嶋氏の登場だ。確かに以前にも六大学のスターがプロ入りしたが、世論を動かすことはなかった。走攻守そろった華麗なプレーと、チャンスに滅法強いカリスマが国民を熱狂させた。「4番・サード」は「ナガシマ」の代名詞だった。

 いつまで「ON時代」を引きずるつもりだ―との批判はあるだろう。ただ先人たちの努力があったからこそ、プロ野球が繁栄し続ける歴史は語り継がれて欲しい。

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