阪神ドラ4斎藤(上) 父母の支えではい上がってきた“遅咲き”

[ 2018年11月26日 13:52 ]

ドラ4斎藤友貴哉(23=Honda)(上)

都市対抗予選で力投する斎藤。家族の支えを力に野球に打ち込んだ
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 【ドラフト指名選手 矢野阪神の1期生】斎藤友貴哉(23=Honda)は、斎藤家の長男として1995年1月5日に体重3600グラムで生を受けた。山形県東根市。県庁所在地・山形市の約20キロ北部に位置し、さくらんぼやリンゴの生産で知られる人口5万人弱の小さな市だ。

 「外で遊ぶのが好きだった。ほとんど毎日体を動かしてました」

 水泳に通い、習字を習う普通の子どもだった。野球に触れたのは小学3年のとき。友だちに誘われたのがきっかけで、「いなほスポーツ少年団」に入団した。主に投手をやりながら一塁も守っていた。東根第二中学でも軟式野球部に入り、硬式野球クラブの東根ヒーローズにも所属。やはり投手だったが、「大会などではいい成績を残せなかった。緊張ばかりで楽しい感じではなかった」と当時を振り返る。後にプロ野球のドラフトで指名されるような片りんすら見せていなかった。

 山形中央でも輝かしい成績はない。2年夏の県大会準優勝が最高で、1年先輩にあたる横山雄哉(阪神)と、同級生の須貝勇哉投手の影に隠れて登板がないまま終わった。3年夏も県大会ベスト4どまりで甲子園に届かない。2試合だけの登板で、「本当に悔しかった」と、思い出すのは涙を流したことばかりだ。

 野球を辞めよう…。18歳の少年が自然にそう思い始めるのは不思議ではないが、父・雄一さんが奮い立たせてくれた。「大学へ行って野球やらんか」――。友貴哉の可能性をもっとも感じていたのが、野球を始めた頃から間近で見続けてくれた父だった。

 母・千架子さんの支えも無視できない。毎日、大きなタッパにおかずとご飯を詰め込んだ特大弁当を作ってくれて、間食用のおにぎりも2、3個用意してくれた。入学当初は68キロだった体重が、3年生にあがった頃には81キロ。「本当に体重を増やすのに必死だったので」。線の細かったボディーが現在は1メートル84、90キロまでできあがったのは母の愛情のおかげだ。

 桐蔭横浜大でも3年春にリーグ戦デビューしたが、通算16試合で6勝6敗。卒業時にはプロ指名届を提出したものの指名漏れ。ここでも涙をのんだ。

 それでも野球を辞めたいというどん底から這い上がってきた男は、もう、ひ弱さはない。社会人のHondaに進むと徐々に力をつけて、プロから再び注目されるまでになった。父・雄一さんの夢。「プロで頑張ってほしいですね」――。まだ一度も喜ばせてあげられていない父の笑顔を見ることが、まずはプロになって最初の目標だ。(長谷川 凡記)

 ◆斎藤 友貴哉(さいとう・ゆきや)1995年(平7)1月5日生まれ、山形県出身の23歳。山形中央では甲子園出場なし。桐蔭横浜大では4年春に3連続完封を含む4完投の活躍でリーグ優勝しMVP。Hondaでは1年目から都市対抗で登板。18年のJABA東京スポニチ大会で2勝し優勝に貢献。1メートル84、90キロ。右投げ左打ち。

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