【北神奈川】第2回大会の覇者・慶応 102年ぶり全国頂点へ 聖地乗り込む

[ 2018年7月31日 05:30 ]

第100回全国高校野球選手権記念大会北神奈川大会決勝   慶応7―5桐光学園 ( 2018年7月30日    横浜 )

<慶応・桐光学園>桐光学園を破り甲子園出場を決め歓喜の慶応ナイン(撮影・会津 智海)
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 第100回全国高校野球選手権記念大会(8月5日から17日間、甲子園)の地方大会は30日に4大会で決勝が行われ、全56代表が出そろった。北神奈川大会では慶応が桐光学園の反撃をかわし、08年の第90回記念大会以来10年ぶり18度目の出場を決めた。慶応普通部時代の1916年に第2回大会に優勝したレジェンド校は、102年ぶりの頂点を目指して聖地に乗り込む。

 慶応応援席が喜びに沸く中、エース生井は人目もはばからずに泣いていた。15年秋就任の森林貴彦監督は、あふれる涙を何度もタオルで拭って言った。

 「センバツで負けて格別の悔しさがあった。甲子園に戻らないと満たされない。選手が実現してくれた」

 一発攻勢で優位に立った。1―0の2回、宮尾が右越え2ラン。3回には2年生4番・広瀬が「自分が決めてやる」と今大会2号ソロを左中間席へ放り込んだ。壁を乗り越えた強さがそこにあった。

 涙は、夏までの過程を思い出したからだ。新チームで臨んだ昨秋は県大会決勝で東海大相模に0―12と大敗。関東大会でセンバツ切符こそつかんだが、初戦で彦根東(滋賀)に逆転負けした。春の県大会も準々決勝で桐光学園に逆転負け…。主将の下山は「チームの方向性が分からなくなった」と振り返った。

 救いを、前回夏の甲子園に出た10年前の主将に求めた。社会人野球・JX―ENEOSの山崎錬だ。電話し、緊張しながら「どうやってチームを立て直したんですか」と切り出した。山崎らもセンバツに出場して初戦で敗れ、春の県大会では桐光学園に敗退。まったく同じ状況だったから話を聞きたかった。

 「慶応」でつながる者同士。「懐かしかった。気持ちはすごくよく分かった」という山崎からの助言は「とことん話して」だった。下山はすぐ全員を集めた。「メンバーに入れなかった人の気持ちとか、いろいろ分かった」。絆が深まった。

 練習面では「打てない」というレッテルをはがしにかかった。カウント1―2の追い込まれた状況を設定し、三振せず安打を打つミッションに挑んだ。今大会は全6試合で2桁安打。打倒・東海大相模、桐光学園を意味するスローガン「TKO」を成し遂げた。

 100回目の甲子園出場を目指した102年前の全国優勝校。下山は「その意識はなかった」と明言した。むしろ言ったことは「2つ上の先輩に“日々成長すること”、1つ上の先輩には“やるべきことをやる姿勢”を学んだ。僕らも下に引き継げたと思う」。1888年創部からの歴史は、その繰り返しでつくられてきたのだ。チームを次代に託すとき、甲子園の快進撃までページに書き加えられていれば、申し分ない。 (松井 いつき)

 慶応(北神奈川)私立の男子校。OBにタレントの櫻井翔ら。

 ◇慶応の1916年(大5)の全国優勝 第2回全国中等学校優勝野球大会には、115校が参加した地方大会を勝ち抜いた12校が出場。出場校は第1回から2校増えた。慶応普通部は初戦で愛知四中を6―2で破ると、準々決勝で香川商を9―3で下し4強入り。準決勝は前年8強の和歌山中を7―3、決勝は市岡中(大阪)を6―2で撃破し、初優勝した。時は第1次世界大戦中。東京でコレラが流行したほか猿飛佐助、霧隠才蔵らが活躍する「立川文庫」が人気に。文豪・夏目漱石が死去した年だった。

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