【熊本】奇跡の一発と伝説のバックホーム 熊本工 悲願の県勢初Vに最も近づいた夏

[ 2018年7月31日 08:00 ]

第78回大会決勝   熊本工3―6松山商 ( 1996年8月21日    甲子園 )

<熊本工・松山商>延長10回一死満塁、本多の右翼への飛球を松山商・矢野が好返球し、三塁走者・星子はアウトに(捕手・石丸)
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 熊本県の古球児(50歳以上)にとってプロは巨人、甲子園は熊工(くまこう)と呼ぶ熊本工が主だった。伝説の「川上―吉原のバッテリー」で熊工が第23回大会(1937年)に準優勝。川上哲治は巨人で活躍し、監督となった。V9を達成したのは私の少年時代。甲子園の時期は“川上”か“熊工”の名前を聞く機会が多かった。

 96年8月。川上以来、59年ぶりに決勝戦に進出した熊工は県勢初の優勝を目指した。先攻の松山商は初回に3点を先取。熊工は2回に1点、8回に1点を返した。先発の園村淳一は2回以降は0点に抑え、2―3で9回、最後の攻撃へ。しかし4番、5番が三振に倒れた。「負けたかな…」と思った。

 ここから球史に残る名場面が幕を開けた。打席は6番打者の1年生・沢村幸明。初球をフルスイングすると打球は左翼ポール際に吸い込まれた。起死回生、まさに奇跡の一発。土壇場で同点に追いついた。

 流れは熊工に来た。延長戦に入り、園村投手が10回を0点に抑えた。その裏の熊工は先頭打者が左中間二塁打で出塁。送りバントで1死三塁にすると松山商は満塁策を選択した。打席は3番打者の本多大介。初球を狙った打球はライトへ上がった。犠牲フライには飛距離十分に見えた。「サヨナラだ。熊本県初の優勝だ」。

 しかし数秒後には“伝説のバックホーム”が演じられていた。タッチアップした星子崇が本塁タッチアウト――。

 勝負は11回、松山商の優勝で幕を閉じた。熊本県が夏の甲子園優勝に最も近づいた一戦だった。

 ◆中林 陵治(東京本社レース部)競輪担当。81年熊本県立八代高卒。

 <熊本データ>

夏の出場 60回(通算63勝60敗1分け)

最高成績 準優勝3回(熊本工=1934、37、96年)

最多出場 熊本工(20)

最多勝利 熊本工(29)

出場経験 14校、うち未勝利5校

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