【悼む】死去前日、横田慎太郎さんに届けた記者の2つの“宝物” 天国でも大好きな野球をしてほしいから

[ 2023年7月18日 20:15 ]

元阪神の横田慎太郎さん

 阪神で14年から6年間プレーし19年に現役引退した横田慎太郎(よこた・しんたろう)さんが18日、死去した。28歳。鹿児島県出身。現役引退の原因にもなった脳腫瘍が昨年に再々発。治療を終えて今春から療養に入っていた。新人時代から取材し、セカンドキャリアも追ってきたスポニチ阪神担当の遠藤礼記者が故人を悼んだ。

 横田さんが亡くなる前日、私の自宅に大切に保管していた2つの宝物を療養先に届けることができた。1つは、鳴尾浜球場での引退試合の後「これ持って帰ってください!」と本人から手渡されたボロボロになった打撃用手袋。汗と血が染みこんだ“相棒”を手元にそっと置いた。

 もう一つは、その引退試合で見せた“奇跡のバックホーム”を報じる紙面。1面には躍動感溢れる現役時代の姿が写り、ページをめくると矢野燿大監督(当時)、大好きだった先輩の北條、中谷、高山、板山、同期入団の梅野、岩貞、岩崎、陽川らの愛のこもった送別の言葉がズラリと並んだ。母・まなみさん、父・真之さんが記事を読み「ユニホーム姿の慎太郎、やっぱり良い顔してる。輝いて見える」と声を揃えた。

 「野球しかしてこなかったので。僕には野球しかないんです」

 高卒1年目に聞いた言葉を今でも覚えている。良い意味で“野球しかできない”。それが現役時代のイメージだった。その後、16年に開幕スタメンを勝ち取った一方で、脳腫瘍で半年間に渡る闘病、長いリハビリを経験。後遺症の視力低下に苦しみながらも、いつか来るかもしれない“一瞬”に備えて 鳴尾浜球場で必死に外野ノックのボールを追ったことがあの“ラストプレー”につながった。

 故郷・鹿児島に戻って、初めての1人暮らしから始まったセカンドキャリア。自身の体験を伝える講演活動に、最初は「僕なんかが喋って良いんですかね。伝わるか不安です」と弱腰だったが、京セラ創業者の稲盛和夫さんの著書などを読み漁って語彙力をつけ、視野を広げた。

 脳腫瘍の再々発で体が思うように動かせない中でも現場に足を運んで届けた言葉の数々は多くの人の胸を打った。療養期間中も本人のスマホには次々と全国から講演の依頼が届いていたことがその証だ。

 小さいことの積み重ねを決して疎かにしない。グラウンドを離れても“プレースタイル”は変わらなかった。減速することなく全力で駆け抜けた28年。ヨコなら「やっぱり野球しかないんで」と天国にもバットとグラブを持っていってるはずだろう。もう一度、大好きな野球を思う存分プレーして欲しい。(阪神担当・遠藤 礼) 

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