日本女子バスケを銀メダルに導いたホーバス監督 NBA挑戦時の挫折が糧に

[ 2021年8月8日 16:38 ]

現役時代の94年、NBAホークスに挑戦(撮影・奥田 秀樹)
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 女子バスケットボールを銀メダルに導いたのは、米国出身のトム・ホーバス監督(54)。NBAに挑戦した選手時代を現地で取材した奥田秀樹通信員が、当時を振り返った。母国と金メダルを争う歴史的一戦を実現させた指揮官は、日本での経験とともに、この時の挫折を糧にしていた。

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 94年秋。NBAホークスのキャンプの招待選手だった27歳のホーバスを、現地アトランタで取材した。4年連続日本リーグ得点王に輝いたトヨタ自動車を去っての挑戦。日当はわずか60ドル(約6000円)だった。

 大学卒業後にもロケッツのキャンプに呼ばれたが、オープン戦3試合で解雇。「オーナーもコーチも練習では褒めてくれる。それなのに、いきなり解雇。再びバスケットボールを楽しめるまでに3年かかった」。ポルトガルでの1シーズンを経て90年に来日。ここがターニングポイントになり、「バスケ愛」を取り戻した。

 「大学を出た頃よりプレーヤーとして伸びていると感じられた。大学での私はほとんどアウトサイドシュート専門。日本ではドリブルやパスも任せられ、守備でもセンターを務めたりした。おかげでプレーの幅が随分広がり、よりバスケットボールを理解できるようになったと思う」

 2度目の挑戦では5人の招待選手で1枠を争い、開幕メンバーに残った。しかし、公式戦出場は2試合で、合計わずか3分。トレードで獲得した選手の枠を空けるため、解雇された。両親の次戦の観戦予定も急きょキャンセル。「つらいのはコーチが良いとも悪いとも言ってくれなかったこと。どう思っているか分からなかった」。潤沢な人材をふるいにかけるNBAでの苦い経験を経て、コミュニケーションの重要性を学んだのではないか。

 通訳を置かず、自らの日本語を駆使して向き合い、体格やパワーで劣る選手たちのポテンシャルを存分に引き出した。27歳で味わった母国での2度目の挫折から27年後、母国と最高の舞台で対戦。不思議な巡り合わせを感じずにはいられない。

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