大迫傑 意地の猛追6位入賞、表彰台ならずも最後は笑顔 現役ラスト走で粘りのレース

[ 2021年8月8日 09:10 ]

東京五輪第17日 陸上男子マラソン ( 2021年8月8日    札幌市内 )

<東京五輪・男子マラソン>ゴールまであとわずかとなった最後の直線で大迫は観客の声援に手を挙げてこたえた(撮影・西海健太郎)
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 東京五輪男子マラソンが8日、札幌市内の周回コースで行われ、前日本記録保持者で今回のレースで現役引退する大迫傑(30=ナイキ)が粘りのレースを見せ6位に入った。

 30キロまで先頭集団でレースを進めた。30キロ過ぎにペースアップしたところで集団から離れたが、35キロ過ぎに2人を抜いて6位浮上。ゴール前の直線では、ガッツポーズを見せつつ、沿道の歓声に手を上げて応えながら笑顔でゴールに飛び込んだ。

 レース後、大迫は「最後はきつくて、追ってみたんですけど、縮まらなかったので、粘り切ろうと思って走り切りました」と言い、30キロ過ぎまで先頭集団でレースを進めたことには「温存という形で走って、一番最後に対応するっていうふうに考えて走りました。下手に3番以内につくと大きな崩れがあるので1つ1つ対応できる範囲で体と相談しながら走ってきました」とレースを振り返った。そして、現役最後のレースに、涙ながらに「真っすぐ進んでいたので、競技以外でも真っすぐに進んでいきたい。次の世代の人が頑張れば、メダル争いにからめると思う。次は後輩たちの番」と後輩に託し、「100点満点の頑張りが出来た。こんな状況ですけど、いろいろな人がテレビの前で応援してくれて力になりました」と話した。

 7月29日に今レースで現役を引退することを発表。米国を拠点とし、18年のシカゴマラソン、20年の東京マラソンで2度、日本記録を更新し、日本のマラソン界をけん引してきた男が、集大成と位置付けた大一番で力走した。

 東京都出身で、誰よりも地元開催の五輪を待ち望んでいた。「13年に大会が決まってから東京を目標にしてきた。最高の舞台にするために自分の100%を注ぎ込んできた」。思いは開催地が札幌に移っても変わらない。感染拡大で開催自体が危ぶまれていた今年1月、ケニア合宿に出発。周囲には「(五輪は)やるかやらないか分からないけど、開催した時のために精いっぱいやってくる」と決意を語っていた。

 中学から本格的に陸上を始めた。早大では箱根駅伝で日本一に貢献するなどした。卒業後は日清食品に所属も、同社を辞めて渡米。世界トップ選手が集うナイキ・オレゴンプロジェクトに参加するなど、常識にとらわれない活動でマラソン選手の新たな可能性を切り開いてきた。引退後については明言していないが、関係者によれば主宰する陸上プロジェクト「Sugar Elite」を中心に、後進育成に活動の場をシフトしていくという。

 「このレースで終わりなんだと決めた今、自分の持てるすべての力を出し切れる気がする」と臨んだ舞台。92年バルセロナ五輪で銀メダルを獲得した森下広一(トヨタ自動車九州陸上競技部監督)以来、29年ぶりとなるメダルまであと一歩だった。

 ◆大迫 傑(おおさこ・すぐる)1991年(平3)5月23日生まれ、東京都町田市出身の30歳。長野・佐久長聖高―早大卒。マラソンでは18年10月のシカゴで2時間5分50秒、20年3月の東京で2時間5分29秒と2度日本記録(当時)を樹立。トラックでは3000メートル、5000メートルの日本記録を持つ。1メートル70。

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