人にヒストリー、いやシストリーあり!

[ 2020年11月16日 14:00 ]

ゲストの春風亭昇太(右)とのトークショーで会場を沸かせる伊東四朗
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 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】喜劇俳優の伊東四朗(83)のトークライブ「あたシ・シストリー」が11月10・11の両日、東京都世田谷区の北沢タウンホールで開催された。東京・台東区生まれで、「ヒ」を「シ」と発音しがちな伊東らしいタイトルがまず笑わせる。10日の昼の部に足を運んだが、ステージ上でひもとかれていく人生秘話に驚かされたり、吹き出したり、久しぶりに楽しいひとときを過ごした。

 当初は3月に予定したが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、何度か延期され、ようやく開催にこぎつけた公演だ。浪曲師の玉川奈々福が生い立ちからをざっくりと紹介した後、ゲストが登場してトークショーを展開していく流れ。

 10日は昼が春風亭昇太(60)、夜が漫才コンビのナイツ、11日の昼が戸田恵子(63)とラサール石井(65)、夜が三宅裕司(69)とゲストの顔触れも豪華。客席にも伊東とドラマで共演中の俳優さんの姿が見られた。

 落語芸術協会の会長も務める昇太は演劇ユニット「伊東四朗一座」の一員でもあり、セリフをよく噛(か)むことから“かみかみ王子”の愛称でも親しまれている。静岡県出身で、大の城好きとしても知られるが、伊東が戦時中に東京から疎開したのが母親の実家があった同県の掛川。お国言葉など静岡談義でも盛り上がった。

 途中、ステージ奥のスクリーンに映し出されたのは伊東が転校した掛川の小学校時代の通知表。よく保存していたものだと感心したが、これが素晴らしく優秀な成績。担任の先生が記入した「虫歯5本」という記述も時代を感じさせてほほ笑ましかった。

 伊東が早稲田大学の生協で働いていた青春時代や電線音頭の誕生秘話、5代目古今亭志ん生が大好きで、映画「しゃべれどもしゃべれども」で落語家を演じた際には「火焔太鼓」を一席丸々覚えさせられた苦労話、さらには料金も支払わずに歌舞伎座に潜り込んでいた裏話などが次々と飛び出し、昇太も感心するやらあきれるやら。「もう時効でしょう」と言い訳する伊東に「犯罪ですよ」と返す昇太。そんなやりとりもおかしかった。

 ご存じ、昇太は日本テレビ「笑点」の6代目司会者。この長寿番組とは伊東も無縁ではなかった。3人組お笑いグループ「てんぷくトリオ」で一世を風靡(ふうび)した伊東だが、「笑点」の3代目司会者に起用されたのが、トリオの中心メンバーだった三波伸介さんだった。

 きっかけがおもしろい。1970年2月、「笑点」の演芸コーナーに出演が決まったてんぷくトリオが収録地の北海道札幌に先乗り。当時の司会者は2代目の前田武彦さんで、座布団運びは松崎真さんが担当していたが、なんと悪天候のため飛行機が欠航。窮余の策で、三波さんが司会、松崎に代わる座布団運びを務めたのが伊東だったという。この時の司会ぶりが評判を呼び、三波さんは前武さんの後を継いで正式に司会者となる。

 「笑点」をめぐる2人の意外な接点。伊東は昇太に向かい「司会になって、おもしろい回答をする人が1人減っちゃった。回答者に戻ったら」と本音で切り込み、きりきり舞いさせる一幕もあった。

 1937年6月15日生まれの83歳。現役を貫く伊東にはますますの活躍を期待し、「あたシ・シストリー」のページをさらに分厚く増やしていって欲しい!

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