【日本シリーズ戦記 1969年「巨人―阪急」】土井の足が…シリーズ退場1号 カメラは見ていた

[ 2022年10月18日 17:30 ]

1969年、カメラは捉えていた――。4回無死一、三塁、長嶋が三振も、重盗を敢行。捕手・岡村が二塁送球の間に三走・土井が本塁突入。岡村のブロックの間から左足でホームを踏み生還
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 栄光の巨人V9時代。パ・リーグの盟主として日本シリーズで最も多く王者に挑んだのは阪急ブレーブス(現オリックス)だった。5度の対決の中で野球ファンの記憶に刻まれているのは1969年(昭44)。巨人2勝1敗で迎えた第4戦。阪急3―0の4回裏、巨人の攻撃でその“事件”は起きた。無死一、三塁。カウント3ボール2ストライクから一塁走者・王貞治がスタートを切った。4番・長嶋茂雄は空振り三振。捕手・岡村浩二が二塁へ送球すると同時に三塁走者・土井正三がスタート。本塁上のクロスプレーで土井が飛ぶ。球審・岡田功の判定は「セーフ」これに激高した岡村が球審に暴行。日本シリーズ史上初の退場劇となった。誰もが「誤審?」と思ったその夜、ホテルで浴衣姿の阪急・西本幸雄監督の下に数枚の写真が持ち込まれた。そこに写っていたのは…。

(役職は当時、敬称略)

~巨人重盗 土井がホームに突っ込んできた~

 西本監督率いる阪急は67、68、69年とリーグ3連覇。3年連続日本シリーズで巨人と激突した。長池徳士、森本潔ら主軸も大舞台に慣れ、一部では「阪急有利」の下馬評もあった。巨人2勝1敗で迎えた敵地・後楽園での第4戦。2回、4番の長池が巨人先発・高橋一三から1発。このシリーズ初めて先手をとった。3回には阪本敏三の適時二塁打。4回には石井晶のシリーズ2号で3点目。試合の主導権を握った。阪急はシリーズ初先発の宮本幸信が好投。3回まで「0」を重ねる。4回裏、先頭打者・土井に三遊間を割られる。続く王貞治は「王シフト」で狭くなった一、二塁間へ痛烈な当たり。二塁手・山口富士雄のグラブを弾き右前へ抜けた。土井は三塁を陥れ無死一、三塁。打席は4番・長嶋。カウント3ボール2ストライク。一塁走者・王がスタートを切った。長嶋はヘルメットが飛ぶほどのフルスイングで空振り三振。捕手の岡村は少し不安定な態勢から二塁へ送球した。三塁走者の土井が本塁へスタートを切る。重盗。二塁手・山口は巨人の動きを察知していた。二塁ベースに入ろうとした山口だが、岡村からの送球が短かったのと、土井がスタートを切ったのを見ると、本塁方向にステップし、ショートバウンドで捕球。本塁へ送球した。ベースをまたぎブロックの態勢が整っていた岡村だが、山口の送球がハーフバウンドとなり一瞬、腰を浮かせて捕球。直後、左に体重移動させながらタッチに行った。

 際どいタイミングになると判断した土井は、岡村が捕球のため腰を浮かせたそのスペースをめがけて左脚を伸ばした。「ベースに届いた!」岡村の厳しいブロックは知っている。左脚が押しつぶされることを避けるため、右方向に飛んで転がった。

~「セーフ」に岡村激高 球審に痛烈パンチ 退場!~

 落球していないことをアピールするため倒れながら右手でボールを掲げた岡村は「アウト」を確信していた。だが岡田球審を見上げると右手を横に開きながら「セーフ、セーフ」と叫んでいる。岡村が激高する。右手で岡田球審の胸をつくと「退場!退場!」怒りの収まらない岡村は岡田の顔面に左ストレートを見舞った。岡村の退場は昨年で72回を数える日本シリーズで危険球退場を除くと唯一の退場劇となっている。

 騒然とする後楽園。阪急ベンチの怒りは頂点に達していた。退場劇の伏線は直前の長嶋の打席にあった。2ストライクからの3球目。長嶋のハーフスイングに岡田球審は「ボール」の判定。西本監督はじめ阪急サイドは執拗な抗議を行った。岡村も「長嶋さんのハーフスイングは長嶋さんが振ったと認めるくらいはっきりしていたのにボールと判定された」と憤っていた。セ・パの審判組織が統一された現在とは異なり、当時はセ・パの審判は別組織。交流戦もなく両リーグの審判が同じゲームに出場するのはオールスターと日本シリーズだけだった。岡田球審の所属は「セ・リーグ」。ハーフスイングで阪急ベンチの岡田球審への不信感は高まっていた。そこで飛び出した「疑惑の判定」だ。「こんなことがあっていいのか」闘将・西本監督はいらだち、阪急ナインは冷静さを完全に失っていた。

~暗闘 故意?の捕逸で球審にボールが直撃~

 2点リードで1死二塁。主導権はまだ阪急にある状況だったが、宮本―中沢伸二のバッテリーが百戦錬磨の巨人打線に翻弄される。2死から国松彰の中前適時打で1点差。末次民夫(後に利光)の中前打で一、二塁とされ森昌彦(後に祇晶)の遊ゴロを阪本がトンネルして同点。代打・槌田誠の二塁打で勝ち越されると高田繁にも2点適時打。この回一挙6点。試合を引っ繰り返された。

 阪急は負の連鎖を断ち切れなかった。中沢に代わって3番手捕手として7回から出場した岡田幸喜が打者・黒江透修の打席で高めの直球を捕球せず岡田球審に投球が直接当たるシーンがあった。8回末次、堀内恒夫の打席でも同じ様なシーンがあり「報復」の可能性を感じ取った岡田球審も「捕れるじゃないか」と岡田を注意。ボールをゴロで投手に返すなど、殺伐とした雰囲気で試合が進んだ。阪急は巨人ではなく岡田球審と戦っていた。終わってみれば7回王がシリーズ1号となるダメ押し弾を放つなど巨人が快勝。V5へ一気に王手をかけた。

~西本監督「完全にアウト」球審「土井の足が入った」~

 試合後、西本監督は「土井のセーフは完全にアウトだ。巨人の選手はホームに来たら全部セーフになるかも知れん。あれがセントラルを代表するアンパイアかね」。岡村は「オレは左脚で完全にブロックしていた。土井はオレのレガースに当たって吹っ飛んだのだから。思わずカーっとした」2人の顔は真っ赤だった。

 巨人・土井は冷めた表情で「ベースの前で右脚を軸にして外側によけながら左脚を突っ込んだ。スーッと入ったのを確認している」。巨人・川上哲治監督は「土井は岡村がブロックして足の間からホームを踏んだといっている」淡々と話した。

 岡田球審は報道陣に囲まれながら「岡村はブロックしているので足が入る隙間はないといったがわずかな空間があった。そこへ土井の足がすっと入った。だから自信を持ってセーフにした」と声を絞り出した。

~スポニチの暗室で浮かび上がった”証拠写真”~

 丁度同じ頃、東京・芝のスポーツニッポン新聞東京本社編集局。写真部の暗室で驚きの声が上がった。

 「土井の足が入ってるぞ」

 後楽園からバイク便で届けられたフィルムを現像。そこに浮かび上がったのは土井が岡村のブロックの隙間に左脚を差し込み本塁ベースにタッチしているシーンだった。撮ったのは写真部・宮崎仁一郎カメラマン。1965年日本シリーズで川上監督の胴上げの瞬間を竹竿に取り付けたカメラで空中から撮影。「スポーツ文化賞」の最優秀作品賞を受賞した名物カメラマンだった。日本シリーズ取材の経験は豊富。第4戦のシリーズ史に残る“事件”を見事に切り取っていた。スポニチ編集局では「世紀の大誤審」のニュアンスで動いていたが作業は中止。即座に写真をメーンとした紙面作成に取りかかった。

~浴衣姿の西本監督を直撃、それでも闘将は・・・~

 写真は急きょ、阪急の宿舎である東京・文京区のホテルに届けられた。担当記者たちが夕食後の浴衣姿の西本監督を直撃。土井のベースタッチが写し出されている連続写真を差し出した。食い入るように見た指揮官だったが「アウト」という見解は変えなかった。「従来のクロスプレーの審判の感覚では捕手の体と走者が触れればタッチしたと解釈されていたはずだ。ルール通りにいえば、こうした写真を突きつけられればセーフかもしれないが、一連の動きでは完全にアウト。またそうなっていた」西本幸雄氏はその時の思いを2011年1月スポーツニッポン本紙の連載「我が道」でこう語っている。

 「問題は岡村がタッチしたか、しなかったかだったが、いつの間にか足が届いたか届いていないかにすり替わってしまった。岡村は激突を避けながらタッチしていた」。42年経っても“信念の人”の姿勢は変わっていなかった。

 岡田球審も報道関係者から「土井のベースタッチ写真」があることを伝えられた。後にメディアに「夕方のテレビを見ても踏んでいるシーンがなかった。審判辞めなければいかんかと思ったが…。翌日新聞を買いあさった」と苦しい胸の内を明かしている。

~不思議な巡り合わせ 主役脇役みんな「立教大関係者」~

 岡村は後のメディアの取材に答えている。「土井だから甘かった」。土井は岡村にとって立教大の2年後輩にあたる。大けがにつながりかねないブロックを一瞬躊躇した。この時打席で三振した長嶋も立大OB。二塁から送球した山口も立大出身(中退)。西本監督も立大OBだった。球史に残る“事件”は当事者たちが立大という糸でつながる不思議な巡り合わせで起きたものだった。西本阪急は第5戦、足立光宏の活躍で一矢を報いたが第6戦に敗れ、巨人にV5を許すこととなった。

 シリーズMVPは長嶋茂雄。大投手・金田正一はユニホームを脱いだ。(構成・浅古正則)

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