10・8で勝っていれば…立浪和義氏、高木守道さんお別れの会で心残り告白 遺志継ぎ若手育成を

[ 2021年1月26日 17:45 ]

<中日・高木守道さんお別れ会>高木守道さんの祭壇(撮影・椎名 航)
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 今春キャンプで中日の臨時コーチを務める立浪和義氏(51)が26日、昨年1月17日に78歳で亡くなった高木守道氏の「お別れの会」に参列。同氏の遺志を継ぎ、球団の未来を担う若手を全力で育ることを誓った。

 祭壇にはノックバットを手に、笑顔を見せる高木氏の写真。献花すると“あの日”の思い出がよみがえった。

 「あそこで自分たちが頑張って勝っていれば、監督に違った思いをさせることができたかも知れない」

 巨人と同率首位で迎えた1994年のシーズン最終戦で、当時の巨人・長嶋茂雄監督が「国民的行事」と称した勝者が優勝する「10・8決戦」。「3番遊撃」で出場した立浪氏は8回、一塁へのヘッドスライディングで左肩を脱臼し、途中交代を余儀なくされた。

 「監督はとにかく、選手に普段通りに野球をやらせる配慮があった。ミーティングでも特別なことを言うわけではなく、普通の試合に入る感じだった」

 通算2480安打など数々の実績を残し、野球殿堂入りも果たしたが、高木監督を胴上げできなかった心残りは今でも胸にある。

 1992年から4年間をともに戦い「選手に任せるではないが、大人扱いしてくれた」と感謝する。名球会の集まりなどで顔を合わせると「いつか指導者に…」と応援もしてくれていた。今春キャンプで09年の引退後、初めて中日を指導することとなった。「球団には特に若い選手を指導して欲しいと言われている。根尾であったり、石川昂は2軍スタートですが、岡林もそう。今までは外からでしたが、中から見たら伝わることもある」。最初は高木監督のようにじっくりと選手を観察する。そのうえで大人扱いしながら気付いた事を伝える。2月1日のキャンプインから指導する予定。ともに「ミスタードラゴンズ」と称された高木氏と立浪氏。偉大なOBが球団の歴史と伝統を後世に伝えていく。

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