【内田雅也の追球】心まで観る「洞察」――希望つないだ阪神・西の好投

[ 2019年8月4日 08:15 ]

セ・リーグ   阪神4―1広島 ( 2019年8月3日    マツダ )

4回1死、鈴木は西の前に見逃し三振に倒れる(撮影・大森 寛明)
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 6回1失点で勝利に導いた阪神先発、西勇輝で光っていたのは観察力である。目をひいたのは相手打者の反応だ。

 たとえば、奪った三振は4個だった。1、4回のバティスタ、鈴木誠也の3、4番連続三振である。1回は見逃し、空振り。4回は逆に空振り、見逃し。心理の裏をつくような、意外な見逃し方やタイミングのずれた空振りだった。

 主軸相手には全力で三振を奪いにいき、ほかは打たせて取ったわけだ。

 この夜、テレビ解説でマツダスタジアムを訪れていた江夏豊は阪神や広島での現役時代、打者の観察力に優れていた。

 「左目でミット、右目で打者を見た」という。ボールを離す瞬間まで打者を観たうえ「打たれる」と感じれば、ボール球にしたり、タイミングを変えて投げたそうだ。

 1979(昭和54)年、日本シリーズ第7戦の土壇場で同点スクイズを外した神業の主だ。説得力がある。

 あの『江夏の21球』を書いた山際淳司は「スポーツを語ろうと思う時に、スポーツだけを見ていたのでは、本当のスポーツの良さは見えない」と話していたそうだ。妻の山際澪が著した『急ぎすぎた旅人――山際淳司』(角川文庫)にあった。

 江夏の投球術はカンなのか。いや、「知の巨人」と呼ばれた批評家・小林秀雄は<命の力には外的偶然を内的必然と観ずる能力が備わっているものだ>と書いている=『モオツァルト』(新潮文庫)=。<感ずる>ではなく<観ずる>のだ。

 さらに、作家・藤本義一は文章を書く際、映画や演劇を観る際などの心がけを「カン・コウ・スイ・ドウ」と名づけていたそうだ。かつて読んだ全日空機内誌『翼の王国』にあった。

 まず、物事をよくみて(観察)、考え(考察)、推し量り(推察)、そして本質や奥底にあるものを見抜く(洞察)。行動にいたる原理原則である。

 つまり、西の観察は心まで読む洞察の域にあった――と書けば、大げさだろうか。

 梅野隆太郎のリードもある。<洞察力のある捕手は、その場の状況に最もふさわしい球種を投手と決めることができる。(中略)これが最も理想的なコミュニケーションである>。大リーグの名投手コーチだったトム・ハウスが93年刊行の『ベースボール革命 21世紀への野球理論』(ベースボール・マガジン社)に書いていた。

 梅野は際どい球のストライク判定を引き出した「フレーミング」という捕球術も付け加えたい。

 節目の100試合目。上位3チームに食らいつく、希望をつなぐ白星だった。=敬称略=(編集委員)

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