桑田氏“KK対決”での連続被弾を振り返る「試合には勝ったが、清原との勝負には負けた」

[ 2019年4月29日 18:55 ]

1994年日本シリーズ第5戦。巨人・桑田真澄から本塁打を打つ西武・清原和博
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 巨人で背番号18を背負い、エースとして活躍した桑田真澄氏(51)が28日放送のTBSのスポーツ情報番組「S☆1」(日深夜0・15)に出演。平成における“プロ野球の名シーン”について語った。

 平成の30年間をひと言で「変化があった大きな時代」と表現した桑田氏。スタジオ内に所狭しと飾られた名シーンのパネルを見ながら目を細めた。

 「阪神淡路大震災の翌年、リーグ優勝を決めたイチローのサヨナラ安打(平成8年)」「“平成の怪物”松坂大輔、プロ初登板・初勝利(平成11年)」「中日・山井、8回降板で消えた完全試合(平成19年)」「まるで漫画!?パ・リーグ初の“4番ピッチャー”大谷翔平(平成29年)」…平成のプロ野球には、ファンの心を揺さぶるドラマティックなシーンが目白押しだった。

 中でも世間の注目を集めたのが「“KKコンビ”の直接対決」。PL学園時代から親友でライバルだった巨人・桑田と西武・清原。日本シリーズという大舞台でのぶつかり合いに、日本国民が酔いしれた。

 平成6年、日本シリーズは「巨人VS西武」という黄金カード。両チームともに2勝ずつ挙げ、迎えた第5戦。巨人の先発マウンドにはセ・リーグMVPの桑田真澄(当時26)が上がっていた。片や清原和博(当時27)は黄金期の西武を支える“不動の4番”に。2人は選手として絶頂期を迎えていた。

 そんな注目の対決は清原の右犠飛、二飛で、ついに第3打席へと突入。6回裏1死、5―1と巨人が4点リードしている場面。点差もあることで、桑田は「2人の対決を楽しんでもいいんじゃないか」とド真ん中のストレートを初球から投げ込む。しかし、清原はものの見事にはじき返し、打球はバックスクリーンへと飛び込んだ。

 この日は調子が良かったと振り返る桑田氏。「外野フライくらいに抑えられるという自信を持って投げた」そうで、「さすがだな」とマウンド上では納得の笑顔を見せていた。

 清原の第4打席は8回裏に訪れた。8―2と巨人がさらに点差を広げていたが、桑田は「(清原に)2打席ホームランを打たれる訳にはいかない」と本気モードに入っていた。しかし、カウント1―2から投じたスライダーを清原が振り抜くと、打球はまたもバックスクリーンへ。桑田は2打席連続のホームランを浴びてしまった。

 桑田氏は「試合には勝ちましたが、2本のホームランを打たれたので“清原との勝負には負けた”」と吐露。さらに「自分よりもスゴい人をライバルにしないと“近づいて追い抜けない”。僕は清原君に対して体格でも技術でもまったく及ばなかった」と清原氏を絶賛。「彼と同じ時代に同じチーム、またはライバルとして戦えたっていうのは非常に大きなことであり、彼がいなかったら僕はここまで来られなかった。彼と出会えたことに感謝している」と清原氏に向け、最大級の賛辞を贈っていた。

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2019年4月29日のニュース