【広島】コツコツ26犠打 伝統の広商野球で昭和最後の夏に輝き

[ 2018年7月19日 08:00 ]

第70回大会決勝   広島商1―0福岡第一 ( 1988年8月22日    甲子園 )

<広島商・福岡第一>592球を投げ切った広島商・上野は歓喜。女房役の尾崎も走り寄る
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 アラフィフ、アラカン世代にとって「甲子園の広島代表」と聞かれて真っ先に思い浮かぶのは、広商(県立広島商業の略称、ちなみに広島市立広島商業は“市商”)ではないだろうか。前身の広島商業学校から夏22回、春21回の出場を数える全国屈指の名門。もちろん今年、50歳の大台を迎える記者も同意見だ。

 その広商が最後の輝きを放ったのは1988年、昭和最後の夏だった。73年に5回目の全国制覇を果たした時の達川光男らのような大物選手不在で下馬評も低い中で迎えた本番、エースの上野貴大や主将の4番・重広和司を中心にチームは勝ち続けるごとに強さを増していき、準決勝も浦和市立を下し、82年以来の決勝に進んだ。

 相手は福岡第一。大会の目玉選手だったエースの前田幸長と「九州のバース」こと山之内健一を軸に勝ち上がってきた。

 迎えた大一番は0―0でこう着したまま9回へ。広商は重広の適時二塁打でついに均衡を破り、投げては上野が山之内を無安打に抑えるなど力投して5安打完封を果たした。大会26犠打は当時の記録を更新。少ないチャンスを着実に生かし、固い守りで勝つ「広商野球」で6回目の栄冠を手に入れた。

 これ以後、夏の甲子園には04年しか出場せず、どこか物足りなさを感じたまま過ごしている。強い広商の復活で熱くしてほしい。

 ◆石丸 秀典(大阪本社レース部)広島市生まれ。87年、基町高卒業。金本知憲(現阪神監督)とは青崎小―大州中と一緒で、小学校時代は4年間、クラスメート。

 <広島データ>

夏の出場 82回(通算119勝74敗1分け)

最高成績 優勝7回(広島商=1924、29、30、57、73、88年、呉港中=34年)

最多出場 広島商、広陵(22)

最多勝利 広島商(43)

出場経験 18校、うち未勝利3校

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