ヤンキース「NYマーク」デザインしたのは有名宝石デザイナー

[ 2014年2月3日 07:59 ]

ヤンキースの公式ショップに飾られた田中の背番号19のレプリカユニホーム

 田中将大が移籍を果たしたニューヨーク・ヤンキース。リーグ優勝40回、ワールドチャンピオン27回というMLB屈指の名門球団だけに、「ピンストライプのユニフォーム」に憧れる野球人は多い。

 このピンストライプとともにヤンキースの代名詞といえるのが、「N」と「Y」をかたどった「NYマーク」だ。デザインを手がけたのは、世界のプレミア・ジュエラー「Tiffany」のルイ・B・ティファニー氏。もっとも、ヤンキースのために制作されたものではなく、元々は殉職したニューヨーク市警に贈るメダルとして作られたものだった。そのため、NとYは「New York」と「Yankees」の略ではなく、あくまでも「New York」を意味している。

 「ピンストライプ」と「NYマーク」といえば、ベーブ・ルースの写真を思い浮かべる人も多いだろう。だが、「NYマーク」は1917年~35年の間は一度廃止されている。ベーブ・ルースがヤンキースで活躍したのは1920~34年のこと。つまり、写真で見かけるベーブ・ルースの「ピンストライプ&NYマーク」のユニフォーム姿は、全て引退後にイベントなどで着用した際の記念写真である。

 また、ヤンキースは世界で初めてユニフォームに背番号をつけたことでも知られる。クリーブランド・インディアンズとともに1929年から背番号を採用。当時は打順がそのまま背番号となり、3番打者だったベーブ・ルースは背番号「3」、4番打者のルー・ゲーリックが「4」を身につけた。そして1939年、ルー・ゲーリッグの背番号「4」が、世界初の永久欠番となったのである。
 
 今回、田中が付けることに決まった背番号「19」は、殿堂入りした通算236勝左腕のホワイティ・フォードがデビュー年に身につけ、ほかにもサイ・ヤング賞を受賞したボブ・ターリーや通算252セーブ左腕のデーブ・リゲッティなど、名だたる名投手たちによって受け継がれてきた番号として知られている。新興球団・東北楽天で名を成した田中将大が名門球団のユニフォームをどう着こなすのか。こうしたユニフォームの歴史も知っておくと、これから田中の歩む道がいかに険しく、そして誇り高いものかがよくわかるだろう。(スマホマガジン『週刊野球太郎』編集部)

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