【新球場初戦の歴史(2)1979年・西武ライオンズ球場】元首相が始球式、開幕12連敗…Vロード1号は

[ 2023年3月28日 17:30 ]

1979年、西武球場こけら落としで西武ナインはVロードから入場した
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 3月30日、日本ハムの新本拠地エスコンフィールドHOKKAIDO「日本ハム―楽天」で2023年のプロ野球が開幕する。選手もファンも胸を躍らせる新本拠地の戦い。1970年代以降、阪神、ヤクルトを除く球団が真新しいフィールドで新時代のスタートを切った。超満員の熱気の中で迎えた、過去の“新本拠地初戦”その結末は…。

~悪夢 7失策の大守乱 ルーキー森繁和沈没~

 <1979年 西武ライオンズ球場> 西武グループは1978年6月、西武狭山線、山口線の終着駅である狭山湖駅(埼玉・所沢市)に隣接する地区にあった西武園球場の改築工事に着手。NPBの1軍公式戦開催を視野に入れた球場の建設を目指していた。系列のプリンスホテルに新たに社会人野球チームを創部することも並行して進められていた。同年10月、西武グループの中核企業である国土計画・堤義明社長はクラウンライターライオンズの買収を正式発表。保護地域を福岡県から埼玉県へ。本拠地を所沢市に建設中の新球場に移転させることを明かした。

 翌79年の開幕に向け建設は急ピッチで進められたが、完成はずれ込みチームは新球場でオープン戦が1度も戦えない過酷なスケジュールを強いられた。4月7日、日生球場で迎えたパ・リーグ開幕戦は阪神から新加入の4番・田淵幸一(現スポニチ評論家)が沈黙するなど近鉄・鈴木啓示(現スポニチ評論家)に零封負け。5連敗で4月14日、西武ライオンズ球場初戦を迎えた。

 福田赳夫元首相の始球式でスタートしたメモリアルゲーム。先発はドラフト1位の森繁和(現スポニチ評論家)だった。初回、プロ3年目20歳の立花義家が右翼へプロ初本塁打となる本拠地初アーチをかけたが、7失策の大守乱で泥沼の6連戦。レオのマークが入ったライオンズの帽子をかぶった子供たちを落胆させた。ようやく新本拠地で勝利の花火が打ち上がったのは10日後の4月24日。2つの引き分けをはさんだ開幕12連敗を止めたのはルーキー松沼博久。8回5安打2失点。ナインはもみくちゃになりながらファンに囲まれながらバックネット裏のスタンドを上がる“ビクトリーロード”を初めて経験した。西武はこの年、45勝73敗の借金28で最下位。黄金時代への道はまだ見えていなかった。

※球場名、球団名、選手登録名などは当時

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