江河愛司 悪い遊びよりハマったゴルフ タバコ、酒、歌より優先!? 50代入りベスト68

[ 2024年3月22日 05:00 ]

クラブを振る江河愛司
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 【だから元気!】著名人に健康や元気の秘訣(ひけつ)を語ってもらう企画「だから元気!」。今回は歌謡舞踊の第一人者として活躍する江河愛司さん(86)です。北島三郎ら昭和のスターと交わりながら、積み上げた芸能キャリアは70年以上。86歳になっても歌い踊る元気の源はセミプロレベルの腕前を持つゴルフにありました。(構成・前田 拓磨)

 東宝芸能学校1期生として入学して芸能活動を始めたのが約70年前。同期には藤村俊二とか土居甫とかがいましたね。僕が高校2年で入ったので、早大にいたおひょい(藤村)とかは3つくらい年上でしたね。東宝ミュージカルの第1回にも出ていています。「おかる勘平」でエノケン(榎本健一)さんと越路吹雪さんが主演でね。売れる前の財津一郎とか草笛光子さんとかも一緒に出ていました。越路さんの後ろで踊ったりしていましたね。

 健康の秘訣はゴルフです。我孫子(千葉)の近くにホームコースがあって、もう40年くらいやっています。一番最初はマークに使っている100円玉を勝手に拾って怒られたりしてね。無理やりやらされたらハマっちゃって。僕の年齢でやっている人はもう一人もいなくなっちゃった。

 凄く好きで一番調子が良かった時はアンダーで回っていました。ベストは50歳くらいの時で68ですね。大会にも出ていました。歌よりゴルフでした(笑い)。今でもエージシュートとかはしょっちゅうやってますよ。シングルの連中と回って、今でも210から220ヤードは飛ばしています。

 健康のためにカートには乗りません。そのおかげと言っていいのか、大きい病気もしていません。タバコもやっていましたけど、レコーディングの時にガサガサと(声が喉に)引っかかる時があるんですね。それでやめてもう30年以上たつかな。お酒は飲む練習もしましたけど、体に合わない。タバコ、酒、悪い遊びをしなくなったのが案外良かったのかもしれません(笑い)。

 歌手としてデビューしてから今年で65年。古賀政男先生から「人気とかに関係なく一生歌えるんだよ。歌えるのはお前しかいないんだ」と言っていただいて始めたのが歌謡舞踊です。演歌じゃないんですよね。一時は演歌が歌いたくて、浮気もしました。それで日本クラウンができた時には、日本コロムビアからサブちゃん(北島三郎)と一緒に行ったんですよ。なかなかデビューできないチータ(水前寺清子)を励ましたりもしました。6曲出して、その中に島津伸男さん作曲で「残(人ベンに峡の旧字体のツクリ)の唄」というのがありましてね。その曲はサブちゃんも歌いましたが、やはり駄目でした。2年いたんだけど不発でしたね。それで古賀先生が帰ってこいと言ってくれて、コロムビアに戻りました。

 芸能生活で焦りはたくさんありました。それでも邦楽、日本の文化を残さないといけない。それ一筋で生きてきました。これからやってみたいこととしては、新舞踊協会というのをつくりたいと思っています。元気で声が出る限りは引退せずに頑張ってみます。声が出なくなったらすぐ引退します。だって歌手ですもの。

 ≪7・4念願70周年ライブ≫5月15日には東京・上原の古賀政男音楽博物館けやきホールで行われる「コロムビア マンスリー歌謡ライブ~コロムビア花のステージ~」に出演する予定だ。「若い実力のある人と一緒に出られるのは楽しみです」と胸を高鳴らせている。7月4日には師匠の自宅跡地でもある同所で芸能生活70周年記念のライブも予定している。「念願のライブで楽しみです」と期待した。

 ◇江河 愛司(えがわ・あいじ)1937年(昭12)12月25日生まれ、愛媛県四国中央市出身の86歳。53年に東宝芸能学校に第1期生として入学。57年、古賀政男に入門。59年、小唄歌謡歌手としてレコード「きりぎりす」「与三郎」でデビュー。76年新舞踊「絵川流」を創設。「江河愛司」の芸名は古賀政男が命名した。

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