「B&B」島田洋八 カラオケが大病乗り越えたパワーの源泉 ムード歌謡でしっぽり

[ 2024年1月26日 05:00 ]

カラオケを楽しむ島田洋八(撮影・会津 智海)
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 【だから元気!】著名人に健康や元気の秘訣(ひけつ)を語ってもらう企画「だから元気!」。今回は漫才コンビ「B&B」で80年代初頭の漫才ブームをけん引した島田洋八さん(73)です。往年の16ビート漫才をほうふつさせるはつらつさ。大病を乗り越えた元気の源はカラオケにありました。(構成・前田 拓磨)

 僕らが若い頃はカラオケがなかったから、できる前から歌っていました。流しの歌手が歌うような感じですね。散歩が苦手なもので、歩けないからね。代わりに歌でおなかの筋肉を使うから、健康的にいいかなと思っています。歌うことで胸に厚みが出てくるので、声も自然に出てくるようになって、仕事もしやすくなるんですよ。漫才も芝居も声を張ってできる。歌う時には胸を張るので、横隔膜の運動になっていると思います。カラオケは1週間に何回か、1時間か2時間くらい歌います。伊豆大島にいた頃は、嫁さんなんかと一緒に行って、スナックで歌っていました。杉良太郎さんの曲とか敏いとうとハッピー&ブルーの曲とかを歌っていますね。演歌じゃないんだけど、ムード歌謡とかを中心に歌っています。

 今までの大きな病気は65歳の時の大腸がん。その1年前に肺気腫をして禁煙外来に行って治しました。タバコはそれまで1日3箱吸っていました。やめるのが大変で自分でやめられないから病院に通いました。禁煙外来が終わった後に先生がいろいろ調べようと言ってくれて、脳から胸から全部調べたら大腸がんが見つかりました。即入院でステージは2か3でした。その後は前立腺もなりやすいからと調べてもらったら、またがんでした。手術ができないというので、放射線が出る石が59個くらい入っています。うちの女房をよく知っている先生で、がんを経て病院が好きになりました。

 一番忙しかった時期は休みがなかった。平日は帯番組(フジテレビ「笑ってる場合ですよ!」)をやっていて土日は(地方で)営業。日曜日の夜行列車で月曜の朝に着く。北海道とかは翌日の飛行機でも帰れるけど、生放送で飛ばなくなると困るから、青森に移動して夜行。朝の6時くらいに着いて(収録会場の)アルタのスタジオの楽屋とかで横になっていました。何か知らんけど夜行でもね、俺は夜中に歌っていたらしいのよ。♪我が家は電車~とか歌っていたらしくてね。(島田)洋七がめっちゃくちゃ笑ってたらしいけど、俺は覚えてないの。夜行では意外と寝られましたね。(多忙でも)放送を休んだことは一度もなかったですね。体を鍛えていたわけでもなく、ど根性でした。酒もだいぶ飲んでいましたけど、若いからできました。今じゃ無理。寝ないと駄目です。

 今後の活動としては歌もいいけど、最後は役者に重きを置きたいね。年を取ったら気取らなくていいじゃん。若い頃は格好つけようとか思うけど、今はそんなことは思わない。コメディーの芝居を今後も作っていきたい。漫才ももちろんやりたいです。今は東京に窓口がないけど、いい仕事があれば洋七も(佐賀から)東京に出てくるかもね。ネタが大丈夫かなとか思うけど俺はあいつがいるなら絶対できると思っています。

 ◇島田 洋八(しまだ・ようはち)1950年(昭25)2月13日生まれ、岡山県出身の73歳。75年、島田洋七の3人目の相方としてお笑いコンビ「B&B」を結成。80年スタートの「笑ってる場合ですよ!」総合MCなど漫才ブームの中心的存在を担った。83年にコンビ解散。その後、藤井洋八の名前で俳優としても活動。「鮫肌男と桃尻女」などに出演。96年にコンビを再結成。

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