海老蔵、迷いなく「父と麻央に伝えたい」 20年五輪年に団十郎襲名「命の限り歌舞伎に生きて…」

[ 2019年1月15日 05:30 ]

<市川海老蔵改め十三代目市川団十郎白猿襲名披露 八代目市川新之助初舞台 歌舞伎座記者会見>舞台であいさつする市川海老蔵(右)。左は堀越勸玄君(撮影・郡司 修)
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 歌舞伎俳優の市川海老蔵(41)が14日、東京・歌舞伎座で会見を行い、来年5月に十三代目市川団十郎を襲名することを発表した。併せて長男の堀越勸玄(かんげん)君(5)も八代目市川新之助を襲名し初舞台を踏む。江戸歌舞伎を代表する大名跡「団十郎」が、新元号で迎える五輪イヤーに7年ぶりに復活する。

 拍子木が鳴り、緞帳(どんちょう)が上がると、黒紋付きを着た2人が深々と頭を下げて300人の報道陣の前に姿を現した。海老蔵は、やや緊張しながらも凜々(りり)しい表情で「この上は己の命の限り懸命に歌舞伎に生きてまいりたいと思う所存でございます」と口上を述べた。

 質疑応答で記者から襲名を誰に報告したか質問され「一番伝えたい人物は2人います。父と麻央です」と迷いなく答えた。

 13年に白血病を患い闘病していた父、十二代目市川団十郎さんが66歳で死去。その悲しみを共に乗り越えた最愛の妻、小林麻央さんが乳がんとの闘病の末、17年に34歳の若さで亡くなった。

 2人に直接襲名を伝えることはかなわなかったが「お墓参り、そして今日も家を出る前に妻に手を合わせ“そういう日が来たよ”ということを伝えました」と明かした。

 「団十郎」の襲名とは別に、歌舞伎役者が持つ名前の「俳名」として「白猿(はくえん)」を名乗る。五代目市川団十郎が「祖父や父には及ばない」という意味を込めて名乗ったもので、海老蔵は「祖父や父の足元にも及ばぬという気持ちで、これからもっと精進していこうという気持ちを込めた」と思いを語った。

 生まれながらに「団十郎」を運命づけられた市川宗家で育ち、重圧とも闘いながら確実に実力を磨いた。10年には暴行事件の被害に遭い足踏みもあったが、もうそのことを語るまでもないほど地位を確立。「いろいろあって大変だった」と平成を笑顔で振り返った。

 20年春の襲名は歌舞伎界では「既定路線」と言われる。歌舞伎座では襲名興行を来年5〜7月に開催。7月には東京五輪も始まり、国内外から人々が東京に集まる。「襲名が五輪とともに新時代の歌舞伎全体の人気を押し広げる起爆剤になってほしい」との期待が関係者から高まっている。海老蔵自身も「“団十郎”はその時代の責任を持って生きていかないといけない」と固い決意を語った。これからスタートする時代を新たな「団十郎」が華やかに彩っていく。

 ▽市川団十郎家 歌舞伎市川一門の宗家。初代(1660〜1704)が17世紀後半、「荒事」と呼ばれる豪快な演技手法を創始。江戸後期の七代目(1791〜1859)が初代以来の当たり役の「勧進帳」「助六」「暫(しばらく)」などを「歌舞伎十八番」としてまとめて公表。これが「十八番(おはこ)」の語源と言われる。九代目(1838〜1903)は明治天皇の前で上演し、大衆文化だった歌舞伎の地位向上に貢献した。屋号は「成田屋」。子供がいなかった初代が成田山(成田山新勝寺)で祈願したところ長男が誕生したことが縁で親交が始まったことによる。

 ▽俳名(はいみょう) 歌舞伎役者が舞台の上で使う名跡とは別に持つ名。本来は、役者が俳句を作るときに使用された名だったが、俳句を詠まなくても俳名をつけることが習わしとなった。襲名と同時に俳名を引き継ぐことも多い。「芝翫」、「梅玉」のように俳名が名跡となるケースもある。

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