未練なんか

[ 2019年1月15日 07:43 ]

日米野球で談笑する長嶋茂雄とメッツのトム・シーバー投手
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 【我満晴朗のこう見えても新人類】MLB通算311勝を誇る快腕トム・シーバーは晩年、数奇な野球人生を歩んだことで知られている。

 メッツに昇格した1967年、いきなり新人王を獲得。2年後には「ミラクル・メッツ」の一員として世界一に上り詰め、69、73、75年はそれぞれサイ・ヤング賞に輝いた。オールスター出場は12回。77年途中からレッズに移籍したが、83年に古巣復帰を果たした。この時すでに38歳。かつての剛球は影を潜めるつあるものの、メッツにとっては他に代えがたいアイコン的存在だ。彼の偉大なキャリアを思い出深いビッグ・アップルで終える、というコンセンサスのようなものが球団にもファンの間にもあったと思う。

 ところがどっこい。

 復帰した年、つまり83年のオフ。ニューヨークの英雄は突如としてホワイトソックスへの移籍を強いられてしまった。

 当時のMLBはフリーエージェント選手を獲得するため「リエントリー・ドラフト」という制度を採用していた。簡単に言うとFA資格を持った選手を全26球団が重複OKで指名するシステム。一方でAランクの有力選手をFAで失ったチームは、他の25チームのプロテクトから外れた選手を「人的補償」として獲得できる。

 あれ? どこかで聞いたような…そう、現在NPBで採用されている仕組みに似ていますね。

 ただし当時のメジャーは、FA選手を獲得した球団だけでなく、全球団のプロテクト漏れ選手が補償の対象だった。

 で、この年。大エースをFAで失ったホワイトソックスは他球団の「保護選手リスト」を確認し、メッツからシーバーがしれっと外れている事実を目ざとく見つけ、しれっと指名したというわけだ。

 メッツ側は大慌て。シーバーは40歳近いし、年俸も高いからプロテクトせずとも大丈夫だろうと高をくくっていたからだ。それにしても他球団の看板選手を奪うなんて、仁義もへったくれもあったもんじゃない。渋々記者会見に応じた写真を当時の専門誌で見た覚えがある。シーバーは当然ながら仏頂面で、両手はズボンのポケットに突っ込んだままマイクの前に立ったいた。

 ことほどさようにいやいやシカゴに向かったシーバーだが、話はここで終わらない。前年まで2年連続して1ケタ勝利に終わっていたアラフォー右腕は84年に15勝11敗、85年に16勝11敗という成績を残したのだから痛快すぎる。

 屈辱ともいうべきプロテクト漏れで永年慣れ親しんだ古巣を後にせざるを得なかったにもかかわらず、さわやかに前向きなコメントを残して新天地に移った例の2選手。シーバーも驚くような活躍を祈っている。(専門委員)

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