歴代担当記者が見たダルビッシュ 忘れぬ古巣への感謝、頑固さと柔軟さの“共存”、変わらない分析スタイル

[ 2024年5月21日 01:30 ]

ナ・リーグ   パドレス9-1ブレーブス ( 2024年5月19日    アトランタ )

ブレーブス戦で日米通算200勝を達成したパドレス・ダルビッシュ(ロイター)

 ≪今も忘れぬ古巣への感謝≫プロ1勝目の試合後には「いろいろ迷惑をかけたので…」、メジャー移籍会見では「いきなり、やっちゃいまして…」。反省の弁に続いて、ダルビッシュは周囲への感謝を述べた。プロ1年目の05年2月にキャンプ地・沖縄のパチンコ店で喫煙し、謹慎処分を受けたことについてだ。

 処分に伴う緊急帰京に同行した。羽田空港でワイドショーのリポーター陣に囲まれたルーキーは「何でタバコを吸ったんですか?」「ファンに説明しないんですか?」などと矢継ぎ早の質問を浴びせられた。多感な18歳にはこたえたはず。だからこそ、支えてくれた球団や選手、ファンへの感謝を忘れない。

 WBCを控えた昨年2月。約5年半ぶりに取材する機会に恵まれた場所は、その羽田空港だった。当時36歳の右腕が私服姿でかぶっていたのは日本ハムの帽子。古巣への愛情があふれていた。家族に加えて、ファイターズとファンへの感謝の思い。今なお進化を続ける原動力だろう。(大林幹雄 05、06年日本ハム、13年レンジャーズ担当)

 ≪頑固さと柔軟さの“共存”≫今の日本球界はダルビッシュの影響が物凄く大きい。10年オフには「今の日本人の体の構造では160キロは無理」と断言。同年にヤクルト・由規が161キロを計測しており、一部ファンから「その発言はおかしい」と突っ込まれていた。

 それでも、球速が出やすいとささやかれていた神宮での記録と主張し、自らは肉体改造に取り組んだ。女性誌でも披露したモデル体形はプロレスラーのような巨体となり、メジャーでも一流と認められた。ここからだ。大谷、佐々木ら160キロを優に超える投手が出現し、今ではアマチュアでも150キロは珍しくない。

 何を言われても曲げない頑固さ。一方で、固定観念に縛られない柔軟さ。これこそがダルビッシュだ。あの頃はメディアやファンを近づけないオーラを漂わせたが、後輩たちの面倒見の良さは抜群だった。海を渡ってから13年も経過した。記者も昨春から久々に北海道勤務となった。もう一度、北海道でダルを取材したい…、なんて思ったりもする。(横市勇 08~11年日本ハム担当)

 ≪変わらない分析スタイル≫ダルビッシュの日米通算150勝目は18年、その年唯一の勝ち星だった。15年の右肘じん帯再建術後、16年は7勝、17年は10勝、過去の圧倒的なピッチングからすると、周囲は物足りなさを感じた。

 だがダルビッシュは周囲に惑わされることはなかった。「他人の評価は仕方がない。そういう仕事なので。でもやっているのは僕。手を抜いての結果なら自分に怒るけど、100%でいっての悪い結果なら仕方がない」

 当時彼のiPhoneには投球フォームの写真が膨大に入っていた。動画をスクリーンショットして、以前のフォームと比較していた。「ここ数年スライダーが良くないと言われていて、曲げようとして体の使い方も変わった。何が違うのかとずっと思っていた」。MLBでバイオメカニクスが今ほど進んでいなかったころで、思えば手間のかかる作業をやっていた。だがこの姿勢が、最新のテクノロジーを駆使し、37歳でも全く衰えを感じさせない、今につながっているのだと思う。(奥田秀樹 大リーグ担当)

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