米野球歴史家が語る 打者専念のルースはなぜ投げたのか?100年前「リアル二刀流」の真相

[ 2021年4月28日 06:15 ]

ア・リーグ   エンゼルス9―4レンジャーズ ( 2021年4月26日    アーリントン )

1916年、23勝を挙げたRソックス・ベーブ・ルース投手(AP)
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 ベーブ・ルースと大谷翔平を結ぶ「リアル二刀流」。1919年シーズンを最後に打者に専念していたルースがなぜ21年6月13日に突然、マウンドに上がったのか――。ルース研究の第一人者である野球歴史家のビル・ジェンキンソン氏(74)が100年前の真相を本紙に明かした。

 私は最も偉大な野球選手であるベーブ・ルースを長年研究してきた。あんな選手は二度と現れないと信じていた。だが、この日の大谷を見て、最も近づいた選手だと感じた。

 レッドソックスで二刀流として活躍していたルースは、1920年のヤンキース移籍後は打者に専念していた。翌21年6月13日。ルースが自ら先発投手を買って出たのには2つの理由があった。一つは投手陣が登板過多で疲弊していたこと。もう一つは、相手がタイガースで、最大のライバルであり、「犬猿の仲」でもあったタイ・カッブがいたことだ。

 カッブは長年、米国で最も偉大な選手として君臨していた。しかし、ルースが20年に54本塁打と打ちまくり、その座を奪った。カッブの時代は、三振は恥ずべきことで、バットに当てて出塁することが大事と信じられていた。ところがルースは空振りを恐れず、三振もしたが本塁打も量産し、英雄となった。カッブはそんなルースに嫉妬し、ルースもカッブが大嫌いだった。

 その試合の前日もルースとカッブはフィールド上で3度言い争い、殴り合い寸前だった。ルースは投打でカッブをやっつけたかったから先発した。実際、四球、中飛、三振と安打を許さず、打っては2本塁打。特に2本目はポロ・グラウンズ(当時のヤ軍本拠で中堅までは147メートル)で、初めて中堅の観客席に打ち込んだ打者となった。中堅手のカッブは頭上を越えていく打球を見て激怒した。

 後に2人は仲直りしたが、新旧のスターが闘志むき出しで戦ったあの試合はMLBの歴史においても意義深い。そのことを大谷が思い出させてくれた。ルースの時代にはウォルター・ジョンソンという歴代2位の417勝を挙げた投手がいた。速い球を投げるだけでなく、走塁も優れ、打撃も凄いパワーで通算24本塁打している。投げても打ってもパワーが規格外の選手は、ルースとジョンソンだけと信じていたが、そこに大谷が加わった。

 私はルースが二刀流をやめた決断は正しかったと思う。もし続けていたら、35年まで現役を続けられなかっただろう。大谷もケガさえなければ、18年のルースのように2桁勝利&2桁本塁打は可能だと思う。ただ二刀流にはケガのリスクが常につきまとう。とはいえ、私はこの日の試合を心から楽しませてもらった。(野球歴史家)

 ◆ベーブ・ルース 1895年2月6日生まれ、米メリーランド州ボルティモア出身。1914年にレッドソックスと投手として契約。外野手としてもプレーを始めた18年に初の本塁打王。20年にヤンキースへ移籍後はほぼ野手に専念。27年に放ったシーズン60本塁打は、30年以上破られない大リーグ記録だった。ブレーブスに移籍した35年限りで引退。48年8月に53歳で死去。本塁打王12回、打点王6回、首位打者1回。通算714本塁打は歴代3位。左投げ左打ち。

 ◆ウォルター・ジョンソン 1887年11月6日生まれ、米カンザス州フンボルト出身。1907年の入団から27年限りで引退するまで21年間、セネタース(現ツインズ)一筋でプレー。サイ・ヤングの511勝に次ぐ歴代2位の通算417勝を挙げた。110完封は歴代1位で3509奪三振は同9位。「ビッグ・トレイン」の異名を取り、24年にはワールドシリーズ制覇に貢献。引退後はセネタース、インディアンスで監督を務めた。ルース、カッブらとともに36年、最初に殿堂入りした5人のうちの1人。右投げ右打ち。

 ◆タイ・カッブ 1886年12月18日生まれ、米ジョージア州ナローズ出身。1905年にタイガースと契約。中堅手として活躍し「球聖」と呼ばれる。11年に自己最高の打率.419を記録するなど4割を3度マークし、史上最高の生涯打率.366。通算4191安打は歴代2位。28年シーズンで引退し、61年7月に74歳で死去。9年連続を含む12回の首位打者獲得、本塁打王1回、打点王4回、09年に打撃3冠を達成。盗塁王6回で、通算897盗塁は歴代4位。二塁併殺崩しの殺人スライディングでも知られた。右投げ左打ち。 

 ◆ビル・ジェンキンソン 米ペンシルベニア州フィラデルフィア在住の74歳。野球歴史家。四半世紀にわたるリサーチの末、07年に「ベーブ・ルースが104本のホームランを打った年」の著作を発表し、話題になった。59本塁打した1921年シーズンで、全打球の落下地点を研究し、今の球場と現行ルールなら「104本塁打」だったという。

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