エンゼルス・大谷、失点直後に反撃2点打!走塁もハッスル「アイアン・ホース」ゲーリッグ重なる大暴れ

[ 2021年4月28日 02:30 ]

ア・リーグ   エンゼルス9―4レンジャーズ ( 2021年4月26日    アーリントン )

<レンジャーズ・エンゼルス>2回、2点二塁打を放つ大谷(AP)
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 初回に4失点を喫したが、エンゼルス・大谷にはもう一つの「刀」があった。「自分自身で点を取ったのは凄く大きなこと」と振り返ったのは1―4の2回2死一、二塁だった。右腕ライルスが内角高めに投じた93マイル(約150キロ)の直球を思い切り引っ張り、右翼線への二塁打で2者を生還させた。

 打球速度はこの試合4番目の113・8マイル(約183キロ)。弾丸ライナーを放った後は三盗もうかがい、ジョー・マドン監督が慌てて止めるほど。続くトラウトの左前打でメジャートップクラスの秒速29・3フィート(約8・9メートル)のスピードで同点の生還を果たす。3回にアップトン、プホルスの2者連続ソロで2点を勝ち越したが、相手先発を早期KOに追い込むきっかけをつくったのは大谷だった。

 26歳は二刀流の存在価値を常に意識している。「自分がどれだけ(チームに)利益をもたらせるか。毎試合毎試合、見せないといけない」。投手でリードを許しても、バットで取り返すことができる。二刀流の選手でしかできない芸当である。

 野球センスも発揮した。試合が膠着(こうちゃく)した6回に先頭で一塁寄りにシフトを敷く内野陣の裏をかいて、がら空きの三塁線へ絶妙なバント安打を決め、貴重な追加点につなげた。「中継ぎが素晴らしくてなかなか(攻撃の)リズムがつかめなかった。ああいうときはきれいなヒットよりも、虚を突くようなヒットが効果的」。投手、野手両方の心理を知るからこそ。これも二刀流だからだ。

 初回から3イニング続けて打席に立ち、計3度の生還。投げて、打って、走って、日本時代も含めてプロ入り初のバント安打まで決めた。開幕から全21試合に出場するタフガイ。その姿は1925年から39年にかけて2130試合連続出場の当時の大リーグ記録を残し、「アイアン・ホース」(鉄の馬)と呼ばれたルー・ゲーリッグ(ヤンキース)と重なる。

 エースで4番だった花巻東時代までと変わらない姿。永遠の野球小僧は27日(日本時間28日)の打者出場も志願し「翔平が出ているゲームは勝ちが多いと思ってもらえるように、一打席一打席やっていきたい」と言った。

 ◆ルー・ゲーリッグ 1903年6月19日生まれ、米ニューヨーク州ニューヨーク出身。1923年にヤンキース入団。25~39年の15年間、当時世界記録となる2130試合連続出場を成し遂げる。ルースとの3、4番コンビで活躍した強打の一塁手。連続出場記録が途絶えたのは筋萎縮性側索硬化症のためで、そのまま引退。通算2721安打。41年6月に37歳の若さで死去した。この病気は後に「ルー・ゲーリッグ病」とも呼ばれた。本塁打王3回、打点王5回、首位打者1回、34年に打撃3冠を達成。左投げ左打ち。

 ≪バント安打は日米通じて初≫大谷のバント安打は日米通じて初めてとなった。日本での内野安打は13~17年の5年間で29本あったが、バント安打は0本。犠打もない。13年8月3日の楽天戦では0―0の2回無死二塁から自らの判断でセーフティーバントを試みたが、結果は捕ゴロ。二塁走者・小谷野が三塁で刺され犠打にならなかった。なお、16年のCSファイナルS第1戦では6回無死一塁から投前に唯一の犠打を決めている。

 ▼エンゼルス・ジョー・マドン監督 野球のほぼ全ての面を見せた。盗塁までしたがっていたので「待て」のサインを出さないといけないほどだった。今夜の試合を楽しめなかった人は、野球を見ても面白いと思わない人だろう。

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