西武 3000勝!所沢移転から41年 東尾修氏 寄せ集め最下位から“よくぞここまで”

[ 2020年9月24日 05:30 ]

パ・リーグ   西武6―5日本ハム ( 2020年9月23日    メットライフD )

<西・日>西武通算3000勝を達成し、記念ボードを手にする辻監督(右端)(撮影・尾崎 有希)
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 西武は23日、日本ハムを6―5で下し、西武ライオンズとして所沢移転した79年から42年目で通算3000勝に到達した。80年代の黄金時代をエースとして支え、監督も務めたスポニチ本紙評論家の東尾修氏(70)が、所沢移転後の草創期と、ここまでの歴史を振り返った。 

 42年で3000勝。年平均で70勝以上が必要だ。渡辺久信GM、辻発彦監督といった黄金期を支えた西武OBが、今もチーム強化にあたってくれている。

 移転当初は強いわけがない。79年は阪神から田淵幸一さん、古沢憲司さん、ロッテから野村克也さん、山崎裕之さんが加わっての寄せ集め集団だった。キャンプは1次が伊豆・下田の陸上競技場。2次は米フロリダ州ブラデントンだったが、大リーガーが集まってくるにつれて練習場がひどくなった。開幕から引き分け2つを挟み12連敗。私も負け続けた。最下位に終わった。

 82年。広岡達朗監督1年目で日本一となった。広岡監督は高知・春野キャンプの宿舎で各部屋の冷蔵庫に鍵をかけた。夜間練習、ミーティングで缶詰め状態にした上でキャンプ唯一の楽しみ、夕食はビール禁止で玄米食だ。厳しさはグラウンドでも同じ。前期優勝したこの年、6月2日の日本ハム戦で一塁ゴロで一塁ベースカバーに入った私は落球。エースでありながら、この落球で、ローテーションを飛ばされた。森昌彦作戦コーチ(のちに祇晶)もワンプレーごとに細かい。選手だけのミーティングで、不満も噴出した。若い選手は管理野球、ベテランは反骨心。それが合わさった球団創設初の日本一だった。私も32歳だったが、初優勝の味はチームを強くした。

 次の森祇晶監督はベテランの意見を聞き、より成熟したチームとなり黄金期を迎えた。私が引退する前年の87年。私が17完投で、工藤公康(現ソフトバンク監督)が23完投。若手の突き上げが37歳の私を元気にした。今もチームの在り方とはそうだろうと思う。

 毎年優勝争いするには、いつまでも打線には頼っていられない。この日の試合のように、2、3点は逆転してくれる。心強い打線があるのに、腕を振れないわけがない。高橋光成や今井達也。毎試合完投できる投手になってもらいたい。 

 ▽埼玉西武ライオンズ パ・リーグ発足の1950年、福岡市を本拠地に誕生した西鉄クリッパースが前身。翌年から西鉄ライオンズに改称。78年10月に西武が買収し、翌79年から本拠地を埼玉県所沢市に移した。86年から指揮を執った森監督の下、9年間で8度のリーグ制覇(うち日本一6度)の黄金期を迎えた。18、19年と2連覇でリーグ優勝は計23度。日本シリーズ優勝は13度。

 ◆東尾 修(ひがしお・おさむ)1950年(昭25)5月18日生まれ、和歌山県出身の70歳。箕島から68年ドラフト1位で西鉄入団。75年に最多勝。83年には最多勝、最優秀防御率の2冠に輝いた。88年に現役引退。通算251勝247敗23セーブ、防御率3・50。95~01年に西武監督を務め、リーグ優勝2度。10年に野球殿堂。

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