引退発表の日本ハム・杉谷 努力でつくった強い体でファイターズ愛貫いた14年間

[ 2022年10月29日 06:00 ]

侍ジャパン・栗山監督(左)と抱き合う日本ハム・杉谷(撮影・高橋 茂夫)
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 【記者フリートーク】小柄な体格をカバーするために努力を重ねた野球人生だった。北海道茅部郡出身の父・満さんがボクシング元日本王者で、少年時代は「父親がトレーナーみたいな感じで、朝起きたら走りに連れていかれた」。帝京時代には甲子園通算51勝の名将・前田三夫監督に育てられた。「昼食だけでご飯3合。前田監督には人よりも食べさせられた。練習よりご飯を食べるのが憂鬱(ゆううつ)だった」と振り返るが、プロ生活14年に耐えうる強い体が出来上がった時期だった。

 幼少期から家庭では日本ハム製品の「シャウエッセン」を食べて育った。高校時代に「新庄さんと(帝京の先輩・森本)稀哲さんが楽しく野球をやっている姿を見てファイターズでプレーしたいと思ったのがきっかけ」と入団テストを受検。「あいつ獲って良かったなって思ってもらえるような成績を残して辞めることができたら一番うれしい」と縁があって拾ってくれた球団に恩義を感じており、「日本ハム以外のユニホームを着ることは想像できない」と他球団でプレーすることは考えられなかった。日本ハムに憧れるきっかけとなった新庄監督、そして来季から外野守備走塁コーチを務める森本先輩と一緒にエスコンフィールド北海道で野球をすることができなかったのは無念だろうが、また違う立場で日本ハムをサポートしてくれるはずだ。

 栗山監督も杉谷の生きざまをよく称えていた。「失敗しても明るく元気にがむしゃらに野球をやるっていうのが一番の基本じゃない。野球じゃなくて生きる基本だよね。苦しい時に全力で、嫌な顔をしないで明るく元気に頑張るっていう」。杉谷の天真爛漫(らんまん)な笑顔に元気をもらったファンも多いはずだ。

 引退決断までの葛藤は容易に想像できる。引退会見前夜。杉谷にメッセージを送ると返信の最後に「ユニホームを脱ぎますが、将来の自分に前進会見ですよ」と前向きなコメントで締められていた。自分の中で区切りをつけ、第二の人生に向けて気持ちの切り替えができたのだろうと察し、ひと安心した。(日本ハム担当・東尾 洋樹)

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2022年10月29日のニュース