山本昌氏 “テル”こと阪神・矢野監督へエール「3位から日本一になってもいい。全力で頑張ってほしい」

[ 2022年10月6日 05:15 ]

19年の秋季キャンプ、矢野監督(右)の前で岩貞(中央)を指導する山本昌臨時コーチ(撮影・大森 寛明)

 阪神の19年秋、20年春季キャンプで臨時コーチを務めた元中日・山本昌氏(57)が5日、矢野燿大監督(53)への惜別メッセージを寄せ、クライマックスシリーズ(CS)へのエールを送った。プロ野球史上最年長の50歳まで現役を貫いた殿堂入り左腕は、矢野監督が中日の新人だった91年春のオーストラリアキャンプで同部屋。30年来の付き合いの後輩への熱い思いを本紙に語った。(取材・構成 山添 晴治)

 矢野がルーキーの時、オーストラリアキャンプで僕の部屋子でした。「テル」という愛称をつけたのも僕。当時、マンガの「ビー・バップ・ハイスクール」がはやっていて城東工業にテルというのがいて。輝弘(現在は燿大)の「輝く」って「テル」とも読む。それがきっかけで何となく呼び始めたら定着しました。

 キャンプでは練習が終わったら毎日、僕と釣りをしていました。休日もホテルの隣の川で。そばに河口があって、キスとかタイが釣れるんですよ。5時に帰ってきて2時間ぐらい。魚が釣れたらホテルの下の日本料理屋さんに持っていって料理していただいた。ビールを飲みながらキスを食べたりしました。

 矢野と最初にバッテリーを組んで思ったのが、中村(武志)と逆だなと。中村は変化球で追い込んで真っすぐ勝負。矢野は真っすぐで追い込んで、変化球勝負。すごく面白いなと。あとは矢野の構えが好きでした。体は大きくないけど、さらに小さくなって、平べったく、片膝をついて。幅広で低い。カニみたいな感じでした。

 阪神に移籍したのは正解だったと思います。(97年オフの)トレード発表の夜にすぐ連絡をしました。すごく恐縮していたのを覚えています。ただ、対戦相手としては嫌な打者でした。あの体で意外と打球も飛ぶんです。僕がノーヒットノーランを達成した時(06年9月16日阪神戦)に「打たれるなら矢野かな」と思っていました。選手でも優勝して、コーチや2軍監督も務めました。そして監督も。これだけ阪神ファンにもかわいがってもらい、僕は成功したトレードの一つだと思います。

 臨時コーチに呼んでくれたのには感謝しています。コーチ経験がない中で勉強させてもらいましたし、阪神の投手陣とは今も連絡を取り合ったりできている。実は彼から直接電話がきたんです。球団からではなく。矢野が「可能ですか?」と言うから「おまえが言うなら可能だよ」と。先輩だから言える助言もあったけど、コーチという肩書がつくと責任が伴う。アドバイスではないんですよね、指導なので。その差をすごく痛感しました。

 青柳が「シンカーを教えてください」と言ってきたり、才木もすごくしつこく「どうですか?」と話を聞いてきてくれた。(藤浪)晋太郎は、僕が行った時は底の時期だったと思う。2、3年かかったけど、すごく良くなった。青柳や秋山も、たまに質問に来てくれるし、ああいう投手が頑張ってくれているのは幸せなこと。初めての教え子なので。才木にしてもね。

 監督としては成功したと思っている。昨年は12球団で最多勝利(77勝)を挙げた。周りが何を言おうと、信念がしっかりあった。もっと監督を続けてもいいと思うけど、本人の気持ちもあったんでしょう。「辞める」と言わなければ来年もあったよね。だから「もったいないな」というのと、「矢野らしいな」というのと。1月31日に公表した時は、正直「まだ早いんじゃないの」と思った。でも、矢野らしいなとは思ったんですよ、ハッキリさせておきたいと。心に決めていても、8月くらいに順位や戦いぶりによって進退を決めてもいいのでは…というのは僕の中ではある。矢野らしいと思いつつも「後でいいのに」という先輩としての思いもありましたね。

 佐藤輝が入ったり、近本が成長したり、大山も確実性が出てきた。中野とか楽しみな選手をたくさん矢野監督がつくってきた。特に投手は才木が復活してきたし、西純矢も本当に良くなってきた。湯浅が出てきて、浜地も、僕が臨時コーチの時は体が強い方じゃなく、ちょっと投げるとどこかが痛いと言ってくる選手だったけど、たくましくセットアッパーに成長した。本当に楽しみなチームをつくって次にバトンタッチだなというのをすごく感じます。

 つらいことも、僕らに分からないこともたくさんあると思います。でも、僕はトレードの時「もう(バッテリーを)組めないんだ、残念」と思ったけど、今思えばタイガースに行って本当に良かったなと。監督までして、しっかりした業績を残して退任ということなんでね。「お疲れさま」ということじゃないかな。いい人生ですよ、大成功ですよ。本当に素晴らしい。

 CSはやっぱり青柳中心になるでしょう。間隔を詰めて、粘って、最後はエース格が出ていくしかない。青柳は中4日でも中3日でも“行きます。監督使ってください”と言うタイプ。無理するところだと思う。来年に影響がないのであればね。正直、僕や矢野監督もそうかもしれないけど、古い野球選手は「優勝して日本シリーズに行きたい」というのはある。でも、ルール上、3位から日本一になってもいい。そのチャンスが残っているんだから、全力で頑張ってほしいし、選手も有終の美を飾ろうと思っているかもしれない。相手は強打のチームなんで、投手力を前面に押し出して。あとは左投手を打てるか。そこを攻略できればチャンスはあると思います。(野球評論家)

続きを表示

2022年10月6日のニュース