ヤンキース・ジャッジ、61年ぶりリーグ新62号 「History made」バイデン大統領も祝福

[ 2022年10月6日 02:30 ]

ア・リーグ   ヤンキース2-3レンジャーズ ( 2022年10月4日    アーリントン )

<レンジャーズ・ヤンキース>初回、62号ソロを放ったジャッジ(AP)
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 History made――。ヤンキースのアーロン・ジャッジ外野手(30)が4日(日本時間5日)、敵地でのレンジャース戦ダブルヘッダー第2試合の初回、62号となる先頭打者本塁打を放った。61年のロジャー・マリス(ヤンキース)を抜く、ア・リーグのシーズン最多本塁打新記録。6試合ぶりの一発で、61年ぶりにリーグ記録を塗り替えた。

 左翼席に打球が消えると、ヤ軍ナインが本塁へ飛び出した。初回、先頭。ジャッジが88マイル(約142キロ)のスライダーを完璧に捉えた。ア・リーグ新の62号。まるでサヨナラ劇のような歓喜の輪で、チームメートと抱擁を繰り返した。

 「心の底からホッとした。ロジャー・マリス、ベーブ・ルースといった偉大な選手たちの横に自分の名前が刻まれるのはとてつもないことだ」

 9月28日に61号を放った後、この日の第1試合まで5試合本塁打なし。「過去何試合かは“もう7回だ。あと1打席しかないからなんとかしないと”という感じだった」。重圧との闘い。打席のたびにチームメートがベンチの最前列で、その瞬間を待っていたのも分かっている。「彼らにはすまないと感じていた。二塁打や四球では彼らをがっかりさせているように感じた。私が単打を打ったらブーイングされたこともあった」という生みの苦しみを超えて放った歴史的一発だった。

 両リーグでは単独7位のシーズン62号。だが、上に立つナ・リーグの6つの記録は「ステロイド(筋肉増強剤)時代」のもので、米メディアは61号を「真の記録」と表現。ようやく出たア新記録にバイデン大統領も「おめでとうジャッジ。History made(歴史がつくられた)」とツイッターで祝福。マリスの息子、マリスジュニア氏もツイッターで「大勢のファンが新たな、クリーンな本塁打王を祝福することができる」と称えた。

 残り1試合。打率.311はトップに4厘差で3冠王は厳しくなったが、エンゼルス・大谷と争うリーグMVPには、また一歩、前進した。「これでみんなやっと席に座り、ゲームが見られる。まだ、実感はない。ポストシーズンが間近にあり、それが目標。オフまで実感は湧かないと思う」。新たなキングは、いつものように次の試合に集中した。(杉浦 大介通信員)

 ▽ロジャー・マリス 1960年代にミッキー・マントルらとヤンキースでプレーした右投げ左打ちの外野手。1934年9月10日、米ミネソタ州生まれで口数の少ない選手だった。57年にインディアンスでメジャー昇格し、60年ヤンキースに移籍。同年に39本塁打、112打点で打点王とMVPを獲得。61年に61本塁打し、1927年にベーブ・ルースがつくり「聖域」と呼ばれた60本塁打の当時の大リーグ記録を塗り替え、141打点で2冠、2年連続リーグMVPに輝いた。67年カージナルスに移籍、翌年引退。メジャー12年間で通算打率・260、275本塁打、850打点。1メートル83、89キロ。85年リンパ節がんのため51歳で死去した。

 ◆アーロン・ジャッジ 1992年4月26日生まれ、米カリフォルニア州出身の30歳。カリフォルニア州立大から13年ドラフト1巡目(全体32位)でヤンキース入団。16年にメジャーデビューし17年に52本塁打で新人王と本塁打王。球宴4度選出。愛称は「Judge=判事」の決まり文句である「All Rise(全員起立)」。2メートル1、127キロ。右投げ右打ち。

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