ロッテ・井口監督 ナインも知らなかった電撃辞任!GM就任も 福浦コーチの昇格有力

[ 2022年10月3日 05:30 ]

パ・リーグ   ロッテ5―3ソフトバンク ( 2022年10月2日    ZOZOマリン )

<ロ・ソ>あいさつで突然の辞任を発表した井口監督(撮影・長久保 豊)
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 ロッテの井口資仁監督(47)が2日、ソフトバンクとのシーズン最終戦(ZOZOマリン)後のあいさつで辞任を電撃表明した。日米通算2254安打をマークした井口監督は、現役を引退した翌年の18年から指揮を執り、20年から2年連続で2位となったが、就任5年目の今季は5位に終わった。河合克美オーナー代行兼球団社長(70)も辞任する意向を示した。 

 試合後の今季最終戦セレモニー。シーズン終了のあいさつで、井口監督は「今年こそ頂点をつかむとキャンプインし、シーズンをスタートしました。3年ぶりのBクラスとなってしまったことは、私の責任だと思っています。今季限りで退任させていただき、次の指揮官にバトンを託したい」と驚きの決断を表明した。スタンドからは悲鳴が響いた。ナインにも知らされておらず、球場全体が異様な雰囲気となった。

 2年連続リーグ2位となり、今季は優勝候補にも挙げられた。「頂点を、つかむ。」をチームスローガンに掲げ、優勝だけにこだわった。ところが、開幕直後から歯車がかみ合わない。高卒ルーキーの松川を開幕スタメンで起用し、3年目・佐々木朗が4月に完全試合を達成するなど、新たな風を球界に送り込んだ一方で、打線の核となるはずだったレアード、マーティンが極度の不振に陥った。

 就任5年目。17年限りで現役を引退し、翌18年からコーチ経験がないまま指揮を執った。河合オーナー代行は、5年前に重光昭夫オーナー(当時オーナー代行)と「来年優勝しなくてもいい。5年後には優勝してほしい」と約束したことを振り返り、「私も責任を取って辞めます」と話した。

 当初は来季も井口監督の続投で調整され、球団内では既定路線となっていた。そんな中で、指揮官は「(退任は)今日決まったことなので、なかなか選手にも伝えられず、あの場で言うしかなかった。最終的には球団といろいろ話し合いながら、試合直前に決まった感じ」と衝撃の事実も明かした。

 今後は球団に残り、ゼネラルマネジャー(GM)などフロント職のトップを務める可能性もある。セレモニーの最後には現役9年を含めて、計14年間も身にまとったピンストライプのユニホーム姿で6度、胴上げされた。

 後任候補には、福浦和也打撃コーチの名前も挙がる。ロッテ一筋で26年プレーして通算2000安打をマークし、ファンからの支持も絶大だ。19年引退後はコーチとして井口野球を支えてきた。河合オーナー代行は「今後は監督人事も含めて白紙」と話すにとどめたが、後任人事の動向も注目される。

 ◇井口 資仁(いぐち・ただひと)1974年(昭49)12月4日生まれ、東京都出身の47歳。国学院久我山から青学大を経て、96年ドラフト1位(逆指名)でダイエー(現ソフトバンク)入団。01、03年に盗塁王。二塁手でベストナイン、ゴールデングラブ賞をそれぞれ3度受賞。05年からホワイトソックスに移籍。フィリーズなどを経て、09年にロッテで日本球界復帰。13年に日米通算2000安打を達成し、17年に現役引退。18年からロッテ監督に就任した。右投げ右打ち。

 ◇福浦 和也(ふくうら・かずや)1975年(昭50)12月14日生まれ、千葉県出身の46歳。習志野ではエース兼4番を務めるも甲子園出場なし。93年ドラフト7位でロッテ入団。1年目の94年シーズン途中に打者に転向。97年に1軍初出場し、01年に首位打者。01~06年に6年連続打率3割以上をマークした。18年に兼任コーチとなり、同年9月22日の西武戦で球団3人目、平成最後の2000安打達成。19年に現役引退。20年に2軍ヘッド兼打撃コーチを務め、今季は1軍打撃コーチ。左投げ左打ち。

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