古賀稔彦さん 上村春樹氏が振り返るバルセロナの激闘「神様が付いていたとしか言いようがない」

[ 2021年3月24日 21:35 ]

1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級で優勝を決めた古賀稔彦さん
Photo By スポニチ

 バルセロナ五輪柔道男子71キロ級・金メダリストの古賀稔彦さん(享年53)の訃報を受け、同五輪で日本男子監督を務めた上村春樹・講道館館長(70)が早過ぎる死を悼んだ。

 24日の朝に車の中で関係者から一報を受けたといい「体調を崩しているとは聞いていたが、今日こんな話になるとは…。がっくりして。まだ53歳だろ、と。早過ぎる」とうなだれた。

 数多くの選手を指導してきた中で、一際思い出深い選手だった。

 「バルセロナを語ることなくして古賀を語ることはできない」と振り返った激闘。試合の11日前に後輩の吉田秀彦との練習で左膝を痛め、そこから一度も練習しないまま試合当日を迎えた。「畳に上がって試合にならなかったら私がやめさせる」と監督が決意していた中で語り草となった金メダルは生まれた。

 試合の際は申し送り事項として必ず勝因、敗因をノートに書き出していたという上村館長。「敗因は比較的探しやすい。勝因はラッキーもある。私はたいがいのことは屁理屈(へりくつ)をこね回してでも書くタイプだった。でも、古賀は何も勝つ要素がなかった。ケガはしている。練習はしていない。(減量で)飯も十分に食ってない。何もいいことがないんですよ」。最終的に書き込んだのは「神様が付いていたとしか言いようがない」という言葉だったという。

 古賀さんは指導者としても女子の谷本歩実さんを五輪金メダルに導いた。さらに子供の育成にも着手。上村館長は「あれだけの選手ならナショナルチームでもどこでも出来上がった選手を強くすればいい。でも、子供たちを一から育てようと。“これは(指導者として)本物になってきたな”と思った」という。

 現役時代は美しい一本背負いで一世を風靡(ふうび)。柔道界への貢献度は強く「明るいキャラクターで子供たちの憧れの的になった。これから選手づくり、人づくりをやりたかったと思う。本当にこれからの柔道界を背負っていく人材だった」と上村館長。「本当に残念。彼も無念でならないと思う」と別れを惜しんだ。

続きを表示

2021年3月24日のニュース