【復刻版 古賀稔彦の11日間】第1章 バルセロナ入り後の悲劇
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1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級・金メダリストで「平成の三四郎」と称された古賀稔彦さんが24日、亡くなったことが分かった。53歳だった。柔道ニッポンの重責を背負って世界と対峙してきた古賀さんには、忘れられない金メダルドラマがあった。バルセロナ五輪で現地入りした翌日の7月20日、78キロ級代表だった吉田秀彦との練習中に左膝に重傷を負った。日本選手団主将にも任命された金メダル候補を襲った不運。柔道私塾「講道学舎」の2年後輩にあたる吉田は責任を感じながら78キロ級で見事金メダル。そしてその翌日、古賀が運命の畳に上がった――。
4年前から話を始めなければならない。1988年9月。ソウル五輪71キロ級3回戦で古賀はテナーゼ(ソ連=当時)に敗れた。優勝候補のまさかの敗退だった。
古賀「「五輪になると周りにいろんな人がいる。こうしなさい、ああしなさいといわれるうちに、言われたとおりにやれば金メダルが獲れると思ってしまった」
しかし、試合場には誰もいなかった。
全日本男子担当コーチ吉村和郎「(当日に)試合場の隣のホテルにお茶を飲みに行ったら、震えてたんだから」
古賀「誰もいない世界に1人で行った感じになってしまった」
奥襟を引きつけられ、得意の一本背負い投げを封じられる。どうしていいか分からなった。小外掛けで効果、有効を奪われる完敗だった。
ここから古賀のバルセロナが始まった。
吉村「『今まで先生のいうことをやっていれば勝てた。でも試合が自分で考えて、自分で動かないと。先生のロボットじゃ、1+1は2にしかならない。3、4にできる選手じゃないよ』と言いよったよ」
古賀「バルセロナへの4年間は人任せでやっていませんから、金メダルを獲るために必要なことを自分でやって、準備もした。(五輪前には)自分を信じる力を持っている状況だった」
古賀には「無限大の、嘘のない努力」をした自信があった。それを間近で見ていた人間がもう1人いる。
吉田「ソウルの時に古賀先輩の付き人をしてましたし、バルセロナ五輪に懸けていた姿も知っていましたから」
2人はともに小学校卒業後に上京し、講道学舎に入門している。東京・世田谷の寮で4年間を一緒に過ごした深い絆があった。だからこそ事件は起こってしまった。
92年7月20日。バルセロナ入り翌日に不運は訪れた。五輪直前に代表選手同士が乱取りをするなどあり得ないことだ。
理由は2カ月前にさかのぼる。吉田は5月30日の実業団の団体戦に新日鉄の一員として同行した。吉村からは「絶対に試合に出るな」といわれていたが、決勝まで進んだチームは吉田の出場を望んだ。
吉田「相手が待てのような状況で、僕の足をバッと取りにきた。それでボキッと」
翌日からの福岡での全日本合宿に、松葉づえとギプスで行った。
吉村「医者を紹介してもらって行ったんだよ。この人が名医でな。『ああこりゃただの捻挫です』って。すぐにギプス外せ、明日から練習や!って、させたんだ」
だが、座薬を使うほど痛みは激しかった。本当は骨折だった。
吉田「折れてないと言われて安心した。五輪後に調べたら、左かかとにすっぱりと縦にヒビが入っていた。五輪前に言われていたら、気持ちの部分で(五輪は)ダメだったと思う」
吉村「骨折って分かってたら、代表じゃなかったろうけん。捻挫と骨折では重みが全然、違う」
五輪前に骨折が判明していたら、吉田は代表を外されたか辞退していたかもしれない。
吉村「いつまでも痛みが取れない。全然調子が上がらんまま時間が来てバルセロナに行ったんだわ。そしたら『古賀先輩と一本勝負やっていいですか』っていう。研修団(練習相手)とやればいいじゃないかと言ったら『いや古賀先輩とやりたいです』と」
吉村は調子の上がらない吉田が、古賀との稽古を希望したというが、吉田、古賀の記憶は違う。
吉田「自分の調子が悪いと思っていなかった。2人で真剣な練習をすると集中できるんで、五輪でもやろうという話をしてたんですよ」
古賀「時差ぼけもあった。練習相手に気を使ってもらう稽古より、意識の高い、気心の知れた仲間と、気合いを入れて集中してやろうと、自分自身も望んでやりました」
いずれにしても2人の深い絆が、代表選手同士の、あり得ないはずの乱取りを実現させた。
2本目だった。古賀が一本背負いに入り、吉田が耐える。もう一段、踏ん張ったその時、古賀の左足が滑った。2人の体重が古賀の左膝にかかるようにして崩れた。
古賀「関節が外れて戻る、ボクっという音がしましたね」
古賀の左膝が大きく内側に、曲がるはずのない角度で曲がった。日本チームが独自に手配した練習場には畳がなく、体操用マットで代用した。滑りをよくするために水をまいてあった。
古賀「激痛ですね。感覚的には、手羽先を逆に曲げる感じです」
吉田「ボクっという音が聞こえましたよ。やばいと思いました。もう古賀先輩は試合に出られないと思った」
吉村「中1から稔彦を見ていて、あんなに痛いっていうのは初めてだった。あいつは腓骨を骨折しても、試合をやっとったんだから」
古賀は膝を抱えてマット上を転がり回った。吉田は「もうダメだ」と叫び、大の字になって動かなかった。
古賀「ケガをした瞬間は、ここまで準備ができて、なんでここでケガをするんだろうと思った」
吉村「よぎったのがソウル五輪だったんだよ。こいつはやっぱり五輪っちゅうのには縁がないんかなあって」
チームドクターの米田實は「左内側側副じん帯断裂で全治3カ月」とその場で所見を伝えた。帰国後の検査では「靱帯(じんたい)損傷で全治1カ月」だったが、いずれにしても柔道どころか、歩くこともできない重傷だった。
吉村「こりゃ難しいだろうって。上村監督のところへ行って、あいつ棄権させますか?と言ったんだよ」
当時は一度エントリーを終えると補欠との変更は出来なかった。 全日本男子監督・上村春樹「どんな一流選手だって、1週間練習しないで試合に臨んだらボロボロだから。でもやめるのは試合場に上がってからでもできる。最後まで諦めないで準備させろと言った」
吉村「で、稔彦がダメですって言ったらやめさせようと思ったんだわ。でも言わんから。だから、あいつがダメというまでは、俺も言っちゃいけねえんだと」
(つづく)
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