仲本工事さん死去 ドリフにまた突然の別れ 18日に車にはねられ意識戻らず 得意の体操で人気者に

[ 2022年10月20日 04:35 ]

仲本工事さんは歌手の純歌と結婚
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 ザ・ドリフターズのメンバーとして人気を博し、18日に横浜市内で乗用車にはねられる事故にあった仲本工事(なかもと・こうじ、本名仲本興喜=なかもと・こうき)さんが19日午後10時22分、急性硬膜下血腫のため横浜市内の病院で死去した。81歳。東京都出身。搬送後、一度も意識が戻らないまま、妻の純歌(54)らにみとられ息を引き取った。

 事故翌日の死去となった。仲本さんは純歌と担当のマネジャーらにみとられ、天国へと旅立った。

 本紙の取材では、この日も意識が戻らず、午後になって危篤状態となった。純歌が親しい知人や関係者に伝え、病院には夫妻と親しい元フィギュアスケーターでタレントの渡部絵美(63)も駆け付けた。渡部は本紙の電話取材に「奥さんから“状態がかなり芳しくなくなった”と聞きました」と説明し、病院に向かっていることを明かしていた。

 純歌は事故後に病院に駆け付け、付きっきりで仲本さんの回復を祈っていた。この日昼頃には横浜市内の現在の住居にいったん戻り、関係者が運転する車に乗り込んで再び病院に向かった。住居では身支度をしていたとみられる。所属事務所によると、葬儀の日程は親族や関係各所と協議した上で、後日発表する。

 仲本さんは1941年生まれ。都立青山高校時代から体操選手として都の新人戦で個人4位になるなど活躍した。学業成績も優秀で将来は弁護士を目指していたが、学習院大在学中からバンド活動を開始。活動中に知り合った高木ブー(89)の誘いで65年にドリフターズに加入した。

 ドリフではギターとボーカルを担当。69年10月「8時だョ!全員集合」(TBS)がスタートすると、得意の体操で目立ち、トレードマークの黒縁眼鏡でファンも多かった。70~80年代には家庭用ビデオデッキのCMに出演し、倍速とコマ送りの演技が子供にまねされ親しまれた。

 85年に「全員集合」が終了した後は俳優としても活躍。「水戸黄門」(TBS)や2時間ドラマなどに数多く出演した。99年以降は加藤茶(79)、高木と結成した「こぶ茶バンド」のメンバーとしても活動した。

 82年に夫人と死別。その後、91年に再婚し1男2女に恵まれたが、04年に離婚。12年に純歌と3度目の結婚を発表した。

 「全員集合」では持ち前の運動神経の良さを生かし、バック転や宙返りなどを軽々と成功させてきた仲本さん。まさかの交通事故で命を落とすことになるとは…。昭和のお茶の間を楽しませてくれた人気者の死に、日本中にショックが広がっている。

 ≪事故現場の交差点には横断歩道、信号なし≫事故現場となった横浜市西区の交差点は3車線の道路と道幅の狭い車道が交わっていて、横断歩道や信号機がない場所。近隣住民の70代男性は「30~40メートル離れたところに横断歩道があるけど、そこまで行くのは面倒なのかここを横断する人は少なくない。お年寄りも見かける」と明かした。実際にこの日、高齢の男性が交差点を横断する姿が見られた。

 ▽仲本さんの事故 仲本さんは18日午前9時10分ごろ、横浜市西区浅間町の交差点を歩いて横断していたところ、パートの男性(73)が運転していたワゴン車にはねられた。頭を強く打ち、頭や顔から出血。近くの病院に救急搬送され、頭部の手術を受けた。事故直後は意識はもうろうとしていたが、その後は意識不明の状態が続いていた。

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