仲本工事さん 温厚で真面目な人 ドリフではサポート役に徹し…コントのリズム保つ役割も

[ 2022年10月20日 04:55 ]

仲本工事さん死去

TBS「8時だョ!全員集合」最終放送。(左から)和田アキ子、荒井注さん、いかりや長介さん、加藤茶、仲本工事さん、高木ブー、志村けんさん。1985年9月28日撮影
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 あまり目立たない真面目なキャラクターで、志村けんさんや加藤茶の笑いを引き立てた仲本さん。テレビ局関係者は、その人柄について「ステージ上のキャラと全く変わらない。自分からガツガツと前に出ず、一歩引いて見守っている。怒ったところを一度も見たことがない。温厚で真面目な人だった」と振り返った。

 トレードマークの黒縁眼鏡は、実はだて眼鏡。若い頃の視力は2.0だったが、いかりや長介さんが真面目キャラを引き立てるために眼鏡をかけさせた。コントで一斉にズッコケる場面では絶妙な眼鏡のズレっぷりで笑いを誘ったが、いつも同じズレ方になるよう練習を繰り返していた。

 中学、高校時代は体操部に所属。一方、中学3年の時の誕生日にギターを買ってもらい、ラジオから流れる海外の曲を必死に覚える洋楽少年でもあった。

 学習院大でのバンド活動ではギターと歌で活躍。ドリフの一員になったのは1965年。同じバンドにいた高木ブーが「ギターも歌もいける」といかりやさんに紹介したのがきっかけだった。

 ビートルズが66年に日本武道館でコンサートを行った際、ドリフは前座を務めたが、メンバーの中で最初に歌ったのが仲本さん。これ以前の同所ではオーケストラ公演しか行われたことがなく、仲本さんは「武道館で初めて歌った男」と周囲に自慢して笑っていたという。その後、音楽と無縁の道を歩いたが、60歳を過ぎたころ再び音楽への情熱が頭をもたげ、愛用のギブソンのギターを手に全国で単独ライブを開催した。

 ドリフではサポート役に徹し「5番目の男」を自認していた仲本さん。70年に加藤が交通事故を起こし入院した際、いかりやさんから代役に指名されたことがあった。その時、仲本さんは見事に代役をこなし、いかりやさんを感心させた。古くから知る芸能関係者は「志村さんや加藤さんは次々に新しいことを生み出した。それに対して、仲本さんは決められたことをきっちりとこなし、コントのリズムを保つ役割だった」と評した。

 ▼広川峯啓氏(エンタメライター) ドリフターズの笑いの中で、とても重要なつなぎ役を担った。コントの最後には加藤茶さん、志村けんさんが大爆笑をさらうのだが、仲本工事さんが見せるちょっとした間違いやとぼけた行動が、絶妙に、スムーズに合間をつないだ。ドリフの大笑いを生みだすには欠かせないコメディアンであり、昭和の笑いを支えた功労者だった。

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