「横浜銀蠅」リーダーの嵐ヨシユキさんお別れ会 翔は「男の勲章をあげたい」

[ 2022年10月18日 16:55 ]

肺炎で亡くなった横浜銀蠅の嵐ヨシユキさん
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 7月4日に肺炎のため死去したロックバンド「横浜銀蝿」のリーダーでドラムスの嵐ヨシユキ(らん・よしゆき、本名田宮淑行=たみや・よしゆき)さん(享年67)のお別れ会が18日、都内で開かれた。実弟でもあるボーカルの翔(64)は「男の勲章をあげたいと思います」と生涯現役であった兄を称えた。

 開会前にメンバーが取材に応じ、翔は「100日たって気持ちも少し落ち着くかと思ってましたけど、あまりにも突然のことだったので、まだ自分の中に嵐さんはいて、まだ消えてない。きょうから前に進めると思うけど、まだつらい」と心境を明かした。ベースのTAKU(62)も「まだ実感なかったけど、だんだんと実感がわいてくる」、ギターのJohnny(64)は「最後に会ったのは4月17日の嵐さんの生誕ライブ。頑張ってる姿が目に焼き付いているので、いきなり亡くなってまだ信じられない」と話した。

 翔は最期の瞬間に立ち会った。「もう会話ができる状態ではなかった」といい、一方的に話しかけるのみだったという。「6月頭ぐらいに心臓の手術があって、“じゃあこの形でいくか”“行ってくるよ”と話したのが最後。手術はうまくいって、その後に電話で“退院するから。早く帰りてえ”と。これが最後の会話。肺炎を患って、3週間ほどで急変した」と明かし、突然の別れだった。

 葬儀は近親者とバンドメンバーのみで行い、棺には愛用の帽子やドラムスティック、大好きだった酒などを収めた。翔は「“まだまだ一緒にやりたかったよ”と言いました。ゆっくり休んでくれとも言いましたけど」と無念そうに振り返った。

 横浜銀蠅は1979年に結成。80年にデビューした。81年の「ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)」が大ヒット。リーゼントヘアにサングラス、革ジャンといった姿もおなじみだった。解散や再結成をしながら、40周年を迎えた2019年にオリジナルメンバーで活動を再開。昨年末まで4人で活動した。

 リーダーとしてバンドを支えた嵐さん。翔は「山のような人で頼もしいリーダー。ドラマーとしては“ミスターエイトビート”。どんなに早くてもエイトビートで叩く。ロックンロールでエイトビートを叩かせたら右に出るものはいない」、TAKUは「機関車みたい。突破力と引っ張る力があった」と振り返った。Johnnyは「昔から弱音を吐かない。40周年の時も決して体調は万全ではない時も“大丈夫”としか言わない。天国でゆっくり休んで見守ってくれよと言いたい」と天を見上げた。

 翔にとっては実の兄でもある。「バンドの時はリーダー、家族の話をするときは兄貴と分けていた。親父とお袋の面倒は俺が見てたけど、大変な時も“なんかあったら言ってくれよ”と、やさしい兄貴でした」と笑顔も浮かべた。

 横浜銀蠅は現在、翔とTAKUの2人で活動し、Johnnyはスタッフとして2人を支えている。今月26日には嵐さんの追悼盤「All for RAN」が発売。翔が嵐さんを思ってリード曲「All for RAN」を書き上げており、「どう生きて、どう戦ってきたかを思い出して歌詞に入れました。サポートメンバーもスタッフもコーラスに参加してもらって、42年間の感謝の気持ちを乗せました。ぜひ聴いてもらいたい」とアピール。今後については「リーダーは永久に嵐さん。彼の意志を継いで、音楽をやっていくのは間違いない。気持ち新たに頑張るのでよろしく」とファンにメッセージを送った。

 祭壇は嵐さんの山をイメージしてつくられ、愛用のドラムセットや衣装も飾られた。

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