阪神・豊田“崖っ縁”27歳が大仕事 猛虎生き返らせる起爆剤に!!「ようやくプロ野球始まったなって」

[ 2024年6月14日 05:15 ]

交流戦   阪神5-0オリックス ( 2024年6月13日    京セラD )

<オ・神> 2回2死一塁、豊田は右前にプロ初安打を放つ(撮影・大森 寛明)
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 阪神・豊田寛外野手(27)が13日のオリックス戦でプロ初安打を含む2安打を放ち、2連敗で止める快勝に貢献した。初回のプロ初失策から挽回し、2回に右前打。好機を広げた4回の左翼フェンス直撃二塁打が23イニングぶりの得点を呼んだ。大学、社会人を経て入団3年目。22年4月20日のDeNA戦以来、2年ぶり3度目の先発出場に応えた。新戦力”の奮闘で首位の広島とともにリーグ最速で30勝に到達。前夜までの2試合連続零敗から息を吹き返した。

 虎の「ヒロシ」が起爆剤になった。新人だった22年以来、2年ぶり3度目の先発出場。ドラフト同期の前川に代わって「7番・左翼」に入り、念願の瞬間は2回にやってきた。2死一塁から田嶋の低めフォークに逆らわずに右前へ。通算11打席目で初安打が生まれた。4回1死一塁では左中間フェンス上部に直撃する二塁打。二、三塁へ好機を広げ、一挙4得点を誘発した。

 「本当にホッとしている。ようやくプロ野球始まったなって」
 大活躍の一日はプロ初失策から始まった。初回先頭で来田の打球判断を誤り、追いつきながら落球。1軍で守備に就くのも2年ぶり。準備はしていても体は固まっていた。

 「やべえって感じで。守備はずっと緊張していた」
 優しすぎる性格で、戸塚シニア時代の恩師・吉島良紀さん(68)が「とにかくおとなしい。もっと欲を出せば、凄い選手になると思って口酸っぱく言った」と当時を振り返るほど。5試合9打席で終えた1年目は借りてきた猫のように力強いスイングが影を潜めた。

 大学、社会人を経たプロ3年目の27歳。「最後のチャンスだと思ってやってきた」と覚悟を決め、2軍で地道に打撃フォームをつくり直した。腕の力が強すぎて、昨季までは上半身で振る悪癖が抜けなかった。北川2軍打撃コーチに助言を仰ぎながら下半身主導のフォームに改良。“ラストチャンス”の1年でも変化することへの怖さはなかった。

 昨年12月に結婚した妻のためにも、終わるわけにはいかなかった。「何もない状態。やるしかなかった」。ウエスタン・リーグで打率・331を残し、昇格初日の7日は代打で初球を中飛。以降は首を長くして出番を待ち、6日ぶりの出場で輝いた。ミスをバットで帳消しにし、岡田監督にも「取り返したから十分やん」と合格点をもらった。

 東海大相模では3年夏に4番打者として全国優勝した“甲子園の申し子”。「結果を出せるように。思い切ってやりたい」。気弱な自分と決別。大いなる第一歩が沈む虎を救った。 (松本 航亮)

≪豊田ってどんな人? 甲子園の申し子「ヒロシ」です≫
 ☆生まれ&サイズ 1997年(平9)4月28日生まれ。神奈川県横浜市出身の27歳。1メートル78、88キロ。右投げ右打ち。

 ☆兄を追って 5歳上の兄・翔さんの影響で川上北小1年から戸塚アイアンボンドスで野球を始める。当時は捕手。米大でも活躍した城島健司さんモデルのミットを使った。

 ☆アマのエリート 名瀬中で戸塚シニアに所属。東海大相模では2年夏と3年夏に甲子園出場。3年時は18歳以下W杯で準優勝。高校通算38本塁打。国際武道大では千葉大学リーグ通算8本塁打。1年上に伊藤将がいる。日立製作所では入社から2年連続都市対抗出場。

 ☆甲子園優勝 3年夏の甲子園で小笠原(中日)、吉田(ロッテ)らと優勝。4番に座り、仙台育英(宮城)との決勝戦で5打数4安打3打点。大会打率・381。

 ☆アニキ 21年ドラフト6位で、高卒の同1位・森木、同4位・前川らの兄貴分。入団当初から江越(現日本ハム)ら先輩から同名の芸人をもじって「ヒロシです!」とイジられて愛称は「ヒロシ」が定着。

 ☆声出し番長 普段は寡黙でも試合では性格が一変。ベンチの声出し番長として気の利いた言葉で盛り上げる。

 
 ≪岡田監督も上機嫌≫投打がかみ合って快勝し、岡田監督は開口一番「何もないで。ええ方で何もない」と上機嫌だった。零敗が続いた前夜までは「何もないで」が会見冒頭の決まり文句で、それをネタにした形だ。先発オーダーは4番・近本以外の8人を組み替えた。特に就任2年目で初めて豊田を先発起用したことを「今日は左投手やしな。推薦というか、ファームで調子が良くて、なるべくいい時に使わんと」と説明。前日12日に親子ゲームだった2軍戦で放った安打も決め手になったとした。

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