【内田雅也の追球】沖縄で生まれた「魂知和」の心 ピタリ合ってきたサインプレー

[ 2023年2月25日 08:00 ]

チームプレーの練習を終え、ナインに話をする岡田監督(中央)(撮影・椎名 航)
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 朝、宜野座村野球場に行くと、受付あたりにいた。誰なのか、わからなかった。地元の人が来ていると、本当にそう思っていた。近づくと、面影があった。

 マイクだった。仲田幸司である。「地元の人かと思ったよ」と言うと「地元ですよ!」「そうやったね」と笑い合った。

 本当に久しぶりである。トラ番キャップをしていた1995年、フリーエージェント(FA)権を行使してロッテに移籍して以来会っていない。28年ぶりである。

 今は建設会社で働きながら、ユーチューバーとして活躍していることは報道で知っていた。マイク自身、20年ぶりの宜野座訪問らしい。

 懐かしい再会を果たした後、午前の練習で「チームプレー」を見た。キャンプ序盤、今月6日に初めて行った際、監督・岡田彰布が「全くダメ」と苦言を呈したけん制やバント守備などのサインプレーである。

 あれから18日、見違えるようになっていた。投手と内野手のけん制の呼吸もピタリと合っていた。たとえば無死一、二塁、バントに備えて一、三塁がチャージするブルドッグも、ブルドッグの形からの二塁けん制もズバリと決まる。

 きょう25日からはオープン戦で、キャンプでサインプレーを練習するのは最後だろう。きちんとキャンプの成果を見せられたわけだ。

 「いやいや」と岡田も満足そうに話した。「ゲーム(練習試合)でもいいとこ出てるしな。守りに関してはあまり心配していない」。テーマだった守備力強化には一定の手応えを得ている。

 仲田と交わした話を思い出した。今回は母校・興南高野球部OB会出席のため、沖縄に来ていたそうだ。興南には伝統的に「魂知和(コンチワ)」という言葉がある。

 岩をも通す一念の「魂」、知識やデータを駆使する「知」、部員全員で力を合わせる「和」。仲田も高校時代の監督・比屋根吉信から教わった。

 昨年1月、70歳で没した比屋根は興南を甲子園常連校に育てた。出身は西宮市で報徳学園―大体大卒。学生時代、西宮北高を指導し、部員に宝馨(現日本高野連会長)がいた。宝が進んだ京大で後に監督も務めた。

 「魂知和」はプロにも通じる姿勢だろう。息が合わなかったサインプレーがピタリで合ってきたのは、沖縄で「コンチワ」の心が育まれたからである。=敬称略=(編集委員)

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2023年2月25日のニュース