選手のために怒って、笑って泣いて…人間くさい名将・応武監督 覚悟感じる異例の措置も

[ 2022年9月8日 05:00 ]

元早大監督・応武篤良氏死去

試合後のインタビューで帽子を取る応武監督(2010年撮影)
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 【悼む】何度もぶつかり、かわされた。当時、鳴り物入りで早大に入学した斎藤佑樹が在学中、防波堤のように取材陣の前に立ちはだかったのが応武監督だった。

 斎藤が4年生だった10年秋のリーグ戦開幕前。すでに就任6年目を迎えていた応武監督の退任と後任が判明した。早大グラウンド横の下り坂を2人で歩いた。「決まったみたいですね」「書くのか?」「はい」。翌日、広報を通じて出入り禁止を言い渡された。後に「ドラフト前に取材合戦が過熱するのを防ぎたかったんだ」と言われた。

 実際、直後の開幕戦で斎藤が東大に初黒星を喫した試合や、早慶戦前とはいえドラフト当日に会見なしという異例の措置を取った。選手を守るため、リーグ戦に集中させるためならどんなに批判されてもいい。そんな覚悟だったのだろう。

 だが、怒ってばかりではなかった。早大の監督は代々、グラウンドに隣接する安部寮で年越しをする。10年の元日。応武監督が好きな焼酎「霧島」を持参して正月のあいさつをした際は「よく来てくれた」と、こちらがびっくりするぐらいの力で手を握られたのを思い出す。また、斎藤を第100代の主将にするのでは?とこっそり聞いた時は「惜しかったねえ。今日発表するよ」と会心の笑みを浮かべたことも。

 早大の監督として最後のシーズンとなった10年秋は、明治神宮大会も制して人目もはばからず涙を流した。怒って、笑って、泣いて――。つまりは人間くさい人だった。(07、09、10年アマチュア野球担当、現新潟支局長・白鳥 健太郎)

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2022年9月8日のニュース