“日本人初”のスイッチピッチャーがギネス挑戦! コロナ禍で勇気づけるべく「56歳でも…頑張ります」

[ 2022年9月8日 18:34 ]

阪神時代の近田豊年氏(1990年撮影)
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 日本プロ野球初のスイッチピッチャーとして知られる、元阪神タイガースの近田豊年氏(56)がスイッチ投法で左右合計266kmギネスに挑戦することが分かった。

 ギネス挑戦のため、現在は目標金額を60万円に設定し、クラウドファンディングを行っている。クラウドファンディングの公式サイトで近田氏は「コロナ禍でなかなか野球の大会が行われず、少年少女達が通常の日常生活をおくれない中、56歳ですが頑張っている姿をお見せして勇気づけることができればと思い挑戦します!!」と意気込みをしめした。

 ギネス挑戦することになった経緯については「56才という年齢でも出来るんだよっていう姿を見てほしくて左右合計266kmを出してギネスに挑戦することにしました」と説明。ここまでの歩みについては「1年半前からトレーニングを開始しましたが、なかなか球速が上がって来ずトレーニングで腰や足を痛めたりしながらなんとか1年半で挑戦できるところまで来ました」と明かした。

 近田氏は「年齢的には遅過ぎたかもしれませんが56歳でも目標と意欲があれば実現出来る事を見て頂きたいです。そしてすこしでも皆さんが何かしらの気持ちが湧き上がりプラスな方向に向かって頂けると、私としても最高に嬉しいです。頑張りますのでよろしくお願いします」とコメントしている。

 10月12日の13時から、わかさスタジアム京都にてギネスへのチャレンジが行われる予定。クラウドファンディングの資金は、球場代、スピードガン2台、専門家のお礼金、MC人件費、ボール代、機材などに使われるという。クラウドファンディングのリターンには、ギネス挑戦を球場にて観覧、近田氏とのキャッチボール(ギネス挑戦当日)、近田氏直筆サインボールプレゼントなどが用意されている。

 ◇近田 豊年(ちかだ・とよとし)1965年(昭和40)12月11日生まれ、高知県宿毛市沖の島出身。明徳高時代には1983年の第55回選抜高等学校野球大会に出場。高校卒業後、本田技研鈴鹿(現Honda鈴鹿)を経て、南海ホークスに入団。90年オフに5対4の大型トレードで阪神タイガースに移籍し、91年に引退。引退後はゴルフのレッスンプロとして活躍している。

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