木内幸男氏 勝敗分けた選手の気持ち 力が入りすぎた金足農、平常心だった大阪桐蔭

[ 2018年8月22日 10:00 ]

第100回全国高校野球選手権記念大会最終日・決勝   大阪桐蔭13―2金足農 ( 2018年8月21日    甲子園 )

84年8月、決勝でPL学園を下し、夏の甲子園大会で優勝した取手二ナインと木内監督(右)
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 【名将かく語りき〜歴史を彩った勝負師たち〜最終日】取手二、常総学院を率いて春夏合わせて3度の日本一、甲子園通算40勝の木内幸男氏(87)が決勝を観戦。選手たちの気持ちの揺れ動きが勝敗に大きく影響したと分析した。大阪桐蔭の優勝を称え、同時に金足農の奮闘に東北勢の近い将来の全国制覇を予想した。

 スポニチの題字に(ヤンキースの)田中君が「氣持ち」と書いている。まさにその言葉が勝敗を左右した決勝だった。2度目の春夏連覇か、東北勢初優勝か。どちらも偉業のかかった一戦で、金足農の吉田君はいつものように心穏やかに投げられなかった。

 いきなり招いた初回無死一、三塁の大ピンチ。3、4番を連続三振に斬った吉田君は5番・根尾君に対して感情が入り過ぎた。準決勝までは「自分のボールを投げれば打たれない」と開き直って抑えてきたが、ピンポイントでコースを狙って四球。力勝負に行った結果、満塁として相手に攻めやすくしてしまった。暴投と二塁打で3失点。石川君に打たれた二塁打は完全に外角を狙われたもので、ピンチでも平然と投げる姿が消えていた。

 全試合投げてきた疲れは当然ある。「相手は大阪桐蔭」という思いも普通の状態でなくしていた。味方が3回に反撃の1点。気持ちの入った直球はまだまだ打者を押し込んでいたが、4回1死一、二塁では揺れ動く気持ちがボールから威力を奪っていた。宮崎君に3ランを打たれ、6失点した5回で降板。この夏初めてマウンドを降りた吉田君は帽子を少し深く、顔を隠すようにかぶっていた。彼の心の優しさが表れていたシーンだった。

 力量が上回る相手との対戦は「勝とう」と思うと難しくなる。ミスはできないと、どうしてもプレーが小さくなるからだ。取手二の監督だった84年夏。KKコンビのPL学園との決勝で、選手たちに「桑田は3連投したことないかんな。今日は打てっど」と言ってやった。「勝とう」ではなく「打てる」と。実は6月の招待試合で桑田君に1安打零敗をしていて、その悪いイメージを払しょくしたかった。準々決勝からの3連投目。疲れが出るから桑田君を打てると信じさせた。

 私の野球は「木内マジック」と称されるが、いわゆる「弱者の兵法」だった。子供たちの性格を知り、気持ちを乗せて力を引き出す。高校生はこの気持ちが最も重要でプレーに直結する。ダルビッシュ投手の東北に勝った03年夏の決勝。「勝ったら、将来子供に自慢できっぞ」と言って本当になった。気持ちというのは、信じられない力を発揮させるし、持てる力を出せなくさせてしまう。

 平常心で力を発揮した大阪桐蔭は文句なく日本一のチーム。吉田君に対し、ミートを意識してコンパクトに強く叩く打法で確実に攻略した。こんな打撃をされたら、高校生では抑えられない。勝ち方を知り、負けない土台を築いた西谷監督は見事と言うほかない。

 この夏、決勝まで全55試合を見せてもらった。大阪桐蔭の牙城は揺るがないと感じた一方、東北勢の初優勝はそう遠くないとも感じた。34年前の甲子園、準々決勝前の練習場で取手二と入れ違ったのが金足農。「公立の農業高校が、地元の子でどうやって勝ってきたのか」と思ったのが懐かしい。バントを多用する中泉監督は、近代野球にとらわれず“古き良きもの”を残していて、どこか私の野球に似ている。打撃優位の今、これだけバントしての準優勝。東北地方からは大谷(エンゼルス)、菊池(西武)ら好投手も次々と生まれている。101回目の夏も楽しみだ。 (元常総学院監督) =終わり=

 ◆木内 幸男(きうち・ゆきお)1931年(昭6)7月12日生まれ、茨城県土浦市出身の87歳。土浦一で外野手として活躍し、卒業後も母校の指導を続けて53年に監督就任。57年に取手二の監督に招へいされ、84年夏に桑田、清原の「KKコンビ」のPL学園を破って初の全国制覇。翌85年に常総学院の監督に就任し、01年センバツ優勝。03年夏の日本一を花道に一度勇退したが、07年に復帰。11年夏を最後に現場を退いた。歴代6位の甲子園監督通算40勝。

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