問いかける。「スポーツがなければ…」

[ 2016年10月16日 10:30 ]

ニューヨークの地下鉄車内で「スポーツがなければ……」と問いかけるESPNのポスター(2003年2月)
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 【内田雅也の広角追球】大リーグ取材でニューヨーク支局にいた2003年2月、地下鉄の車内広告に目が止まった。抱き合うバッテリーに、駆け寄る三塁手のモノクロ写真。ニューヨーク・メッツが1969年、ワールドシリーズで初優勝した瞬間である。

 「スポーツがなければ……」とキャプションが語りかける。「誰も奇跡など信じないだろう」

 スポーツ専門チャンネルESPNのポスターだった。

 1962年に誕生したメッツは「お荷物球団」と呼ばれていた。初年度の40勝120敗をはじめ4年連続最下位。毎年下位に低迷していた。

 だから69年の快進撃は「ミラクル・メッツ」と呼ばれた。若手が徐々に力をつけていた。シーズンは100勝62敗で東地区優勝。初のプレーオフではブレーブスを破り、ワールドシリーズ進出。オリオールズに初戦を落とした後、4連勝で制した。優勝パレード当日、天気予報は「ニューヨーク、晴れ、ところにより紙吹雪」と祝福した。10月16日は、その奇跡の初優勝の記念日である。

 野球場は奇跡が起きる所、夢がかなう非日常的な所なのだ。作家ジョン・アップダイクは<すべての野球ファンは奇跡を信じる>と書いている。

 写真でマウンドに駆け寄り、白い歯を見せる三塁手はエド・チャールズという。彼は映画『42~世界を変えた男』(2013年)に出てくる少年である。大リーグのカラー・バリア(人種の壁)を破ったジャッキー・ロビンソン(ドジャース)にあこがれ、キャンプ地・フロリダから旅立つ列車を見送る。少年は後を追って本当に大リーガーとなった。ほぼ実話だとニューヨーク・デイリーニューズで読んだ。

 今年、25年ぶりのリーグ優勝を決めた広島も球団創設から長い低迷期があり「お荷物」と呼ばれていた。75年の初優勝は奇跡だと言われた。

 74年秋に就任したジョー・ルーツ監督が最初の会合で全選手を前に演説した内容が過日他界した山本一義氏の著書『一球談義』(淡水社)にある。「君たちカープ球団の一人一人の選手には勝つことによって、広島という地域社会を活性化させる社会的使命がある」「野球という仕事を通して社会に貢献できた時、やりがいという喜びを味わうことができるのだ」

 山本氏は<当時の私たち現役選手が意識していなかったものの見方でした>と振り返っている。<私たちは“勝つ”という目標の質の高さに強くつき動かされました>。

 ルーツ氏は開幕直後に去ったが、後任の古葉竹識監督の下、快進撃を続けた。地元広島の人びととともに夢を描き、奇跡を信じた快挙だった。

 先のアップダイクの言葉に続きがある。<問題は、いくつまで(奇跡を)信じることができるかだ>。クライマックス・シリーズ(CS)取材で熱い広島を訪れた。野球が、スポーツがある限り、信じていられる気がした。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963年2月、和歌山市生まれ。小学校卒業文集『21世紀のぼくたち』で「野球の記者をしている」と書いた。桐蔭高(旧制和歌山中)時代は怪腕。慶大卒。85年入社以来、野球担当一筋。大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』は10年目。昨年12月、高校野球100年を記念した第1回大会再現で念願の甲子園登板を果たした。

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