FA、逆指名の二重苦…広島 ドラフト希望枠廃止が逆襲の契機に

[ 2016年9月13日 10:00 ]

02年11月22日、阪神にFA入団し、当時の星野監督(右)と握手する金本

 【25年ぶり鯉のぼり(2)】94年の川口和久が移籍1号だった。93年導入のフリーエージェント(FA)制度。99年に江藤智、02年に金本知憲、07年には新井貴浩と4番打者が相次いでFA宣言した。

 ただ、人材の発掘と育成が広島のよき伝統。江藤の後は新井、金本の後には嶋重宣が台頭し、一定の穴を埋めた。黒田博樹が抜けた08年にはコルビー・ルイスを補強し、2季で26勝。FA流出の影響は世間が抱くイメージほど大きくない。

 むしろ、ドラフトだ。同じ93年の逆指名制度導入の影響は大きく、広島は大学・社会人の即戦力獲得に苦戦し、高校生の素材中心のチームづくりを余儀なくされた。オーナーの松田元は語る。「90年代はまだ80年代の余韻が残っとるから、下をうまく底上げしていけば…という気持ちだった」。確かに90~99年はAクラス6回。だが、2000年以降は遺産が底をつき、Bクラスが指定席となった。

 FA制度で出口をあけられ、逆指名制度で入り口を閉ざされた二重苦。逆指名制度は01年秋に自由獲得枠、05年秋からは希望入団枠に名称を変えて存続した。ただ、後に起こる希望枠存廃議論では、広島は即戦力獲得に強い巨人、ソフトバンクとともに賛成に回り、周囲を驚かせた。

 「ウチには廃止が望ましい。ただ球界のことも考えないと。12球団の会議とはそういうもの」。球団本部長の鈴木清明が当時の真意を説明する。メジャーへの選手流出危機が叫ばれていた時代。希望球団に入れなければメジャーへ…という選手が出ないよう、球界全体を熟慮しての苦渋の選択だった。

 吹き続けた広島への逆風は、思わぬ形で止まることになる。複数球団で発覚した裏金問題により、07年4月に希望枠は廃止。逆襲に転じる契機となった。 =敬称略= (広島取材班)

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