若手女優羽ばたかせた大林宣彦さん 小林聡美、原田知世らが恩師悼む

[ 2020年4月12日 05:30 ]

1982年1月、映画「時をかける少女」制作発表で原田知世(左から2人目)らと並ぶ大林宣彦監督(右から2人目)
Photo By スポニチ

 映画「時をかける少女」などで知られる映画監督の大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)さんが10日に肺がんのため82歳で死去した。

 大林さんは「アイドル映画」の先駆者でもあった。故郷を舞台とした尾道三部作で大きく手腕を発揮し、若手女優が羽ばたくきっかけをつくった。

 82年のファンタジー作「転校生」は、小林聡美(54)をヒロインに起用。当時17歳の小林は胸をさらけ出すなど体当たりの演技を見せ、作品をみずみずしく引き立てた。小林は「大林監督は私の根っこであり、お日さまでした」としのんだ。男女が入れ替わる設定は映画やドラマの定番だが、「転校生」の影響を受けた作品が多い。

 83年の「時をかける少女」も時空を超える少女のファンタジー。主演した原田知世(52)の透明感にあふれた笑顔が印象的だった。原田は「在りし日のお姿をしのびつつ、ご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。

 85年「さびしんぼう」に主演した富田靖子は「監督に会いたいです。もう、握手をすることも気持ちをお伝えすることもできません。どんな言葉も、素通りしていきます」としんみり。デビュー作も大林監督が製作総指揮を務めた「アイコ十六歳」だった。「作品に参加させていただいたことは私にとって、宝物です。大好きです」と愛にあふれた言葉を寄せた。

 尾道三部作全てに出演した尾美としのり(54)は、大林作品の常連だった。尾美の愚痴をきっかけに長く絶縁状態となったが、遺作となった「海辺の映画館―キネマの玉手箱」の撮影で23年ぶりに再会した。尾美は「今の気持ちを率直に言うと、大変残念です。それに尽きます」と打ちひしがれた。

 「海辺…」など晩年の作品に出演した常盤貴子(47)は「次々と人を魅了していく監督のそばにいることができたのは、私の誇りです。常識を疑い、こういうものだ、という思い込みを覆していくさまは、癖になるほど面白かった」と振り返った。反戦を訴えた監督に向けて「命を削って訴え続けてくださった二度と戦争なんて起きない世の中になるよう、私たちは映画の力を信じ、その思いをつないでいきたいと思います」と誓った。

 ▼山崎紘菜(「海辺の映画館―キネマの玉手箱」などに出演)あまりに突然のことすぎて、全然実感が湧きません。またすぐに「映画を撮るぞ!」と誘っていただけるような気がしていて、それを待っていたい自分がいます。生前の監督の平和への願いやフィロソフィー。しっかり私の胸に宿っています。バトンはちゃんと受け取りましたので、安心して休んでください。心よりご冥福をお祈り致します。

 ▼池上季実子(「HOUSE/ハウス」に主演)シーン・芝居と関係ない「ちょっと笑う顔して」「泣いた表情して」。困った顔、怒った顔などさまざまな顔を数百カット、説明なく要求していらっしゃった…。結局、映画が出来上がるまで監督が何をしたかったのか分からずじまいで撮影に臨んだことをいまだに後悔しています。

 ▼秋吉久美子(ドラマ「可愛い悪魔」などに出演)お元気でやる気満々、奇跡の人の印象強く、82歳は大林監督にとって夭逝(ようせい)。95歳で「クミコちゃん」と新作の映画に声を掛けてくれそうな大林監督のその声すら聞こえてくる。大きな人だった。強い人だった。

 ▼浅野忠信(「青春デンデケデケデケ」に出演)ありがとうございました。一緒に映画を撮った日々をわすれません。(ツイッターから)

 《温和な性格》大林さんは温和な性格で知られた。映画関係者は「偉ぶらない学究肌。学校の先生みたいな人」と語る。物事を追究することが得意で、子供の頃は家にあったピアノに熱中。中学時代にはショパンやベートーベンも独学の“耳学問”で弾くまでになった。家でも映画に没頭し、それ以外のことはノータッチ。父が医者だったこともあり「傷ついたり病んだりした人の心を癒やす、よく効く薬のような映画を作りたい」と作品作りを続けてきた。

続きを表示

2020年4月12日のニュース