【内田雅也の追球】大山の「凡打疾走」の精神 決勝生還を生んだ「全力疾走」につながったもの

[ 2023年5月25日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神6―5ヤクルト ( 2023年5月24日    神宮 )

<ヤ・神>9回、佐藤輝の右翼線二塁打で一塁から激走を見せて逆転の生還を果たす大山(撮影・北條 貴史)
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 9回表2死無走者の「あと1人」、いや2ストライクの「あと1球」から逆転した阪神の底力は驚異的である。

 ヒーローはむろん、2死一、三塁から逆転決勝の2点二塁打を放った佐藤輝明なのだが、一塁から長駆(ちょうく)生還した大山悠輔の走塁は見事だった。

 佐藤輝のライナーが右翼線に飛び、処理したヤクルト右翼手・並木秀尊―二塁手・山田哲人―捕手・中村悠平の中継プレーにはミスも、よどみもなかった。それでも懸命に力走した大山は本塁へ足から滑り、左手で決勝の本塁をはいていた。

 VTRを見ながら手もとのストップウオッチで計測すると、佐藤輝のインパクトから本塁生還まで10秒72。俊足走者なみのタイムだった。

 「僕は打球が見えないので藤本さんの判断で」と大山は言った。もちろん、手を回したのは三塁ベースコーチ・藤本敦士だが、大山自身には本塁に還る気持ちがみなぎっていた。だから藤本も「全く速度が落ちずに三塁に向かってきていました。あの走塁を見て回しました」と話したのだ。

 一塁ベースコーチ・筒井壮は「一歩でも多くリードを取り、走っている時は“回せ”と体全体で訴えていましたよね」とみていた。

 さらに、筒井は普段の大山の姿勢が生還につながったとみていた。「もちろん、走らないでいい時もあります。ただ、全力疾走を怠らない大山の姿勢があの生還になったんじゃないでしょうか」

 凡打疾走の精神が生きたのだ。野球の神様が見ている。いや、もっと実際的な理由もある。

 ジョージ・ブレット(ロイヤルズ)は1970―90年代、大リーグのスターだった。93年、40歳で引退する前、最後の打席について「平凡なセカンドゴロを打ち、間一髪アウトになりたい」と語った。「全力疾走を貫いた男として記憶に残りたい」と殿堂入りスピーチで語っている。

 常に力走する意味を著書『強い打球と速いボール』(ベースボール・マガジン社)に書いている。<精一杯駆け抜ける反応や反射を身につけ、欲やプレッシャーに負けずにプレーできるよう努力することが、同時にメンタルトレーニングをしていることになる>。そして<反応や反射の組み合わせが勝利に貢献するプレーになる>。心身ともに効果があるわけだ。

 それを大山は実践しているのだ。=敬称略=(編集委員)

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