京産大 日大に敗戦…大西監督、47年間の指導者生活を終え勇退

[ 2019年12月16日 05:30 ]

<日大・京産大>勝利し歓喜する日大フィフティーン(黒のジャージ)とそれを横目にガックリする京産大フィフティーン(撮影・久冨木 修) 
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 全国大学ラグビー選手権は15日、3回戦4試合が各地であり、京産大は日大に19―24で敗れた。1トライ差を追う前半終了間際、ゴール前でのスクラムのチャンスを得点につなげられなかったことが響いた。1973年に就任した大西健監督(69)は47年間の指導者生活を終え勇退する。

 京産大のプライドはスクラムにある。73年、弱小チームに就任した大西監督は「努力で強くなれる」と半世紀近くこだわってきた。

 FW自慢の日大にも優勢だった。12―17の前半終了間際、中央5メートルスクラムで組み勝って反則を奪った。3点を返すPGを選べたが、「揺るぎない選択」と指揮官はスクラムを指令。しかし、押せない。逆に反則を犯し万事休す。後半はキックをうまく使われ陣地で劣勢。密集で組織的に圧力をかけられ、何度もボールを失ったことも痛恨だった。1トライ差届かなかった。

 ロック伊藤鐘平主将は、感謝の思いで監督を胴上げした。「先生はある意味、お父さんです」。出会いは「5、6歳」。17歳上の兄で元日本代表のOB鐘史コーチの応援に訪れた際、頭をなでられた。以後「大学はキョウサン」と心に決めた。

 入学時から、大西監督が70歳を機に退くことを知っていた。「日本一になって一緒に卒業やで」と声をかけられた。2時間ぶっとしのスクラムは日常的。長野県菅平の夏合宿は、急斜面「ダボスの丘」をスクラムを押して上がった。数々のトップリーガーを育てた伝統の練習は「衝撃的でした」と振り返る。

 「でも、力を付けられた」。卒業後は東芝へ進む。前半24分、SO山内のチャージに即座に反応。同点につながる40メートル独走トライが、置き土産になった。

 大西監督は、83年に全国初勝利を挙げた日大に、監督最後の敗戦を喫した。47年間の変わらぬ目標だった日本一はかなわなかった。

 「どのレベル、どんなメンバーでも日本一を目指した。日本一を目指し、どれだけ努力をしたかに意味がある。悔いはないです」

 午前5時半に筋トレルームのカギを開けることが日課だった。近年、寮にトレーニグ場ができ、解錠する必要がなくなっても、生活は不変。午前6時半の練習開始までの1時間を相談時間にし、選手のドアのノックを日々待った。厳しさの陰で、40年以上、早朝から選手に寄り添った。

 後任は伊藤主将の兄、鐘史コーチが有力。看板の「ひたむきさ」は受け継がれていく。

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2019年12月16日のニュース