畑正憲さん 動物とともに歩んだ87年の生涯 “ムツゴロウ”きっかけは少年時代に出合ったハトとイルカ

[ 2023年4月7日 05:05 ]

85年、脚本を担当した「子猫物語」のロケに参加した畑正憲さん

 畑正憲さんの人生は、常に動物とともにあった。東大時代の専攻科目、就職先での記録映画の題材。麻雀の腕前はプロ級で勝負事を好む一面もあった。畑さんの訃報に“動物仲間”からは続々と追悼の声が上がった。

 動物を愛し、動物とともに生きた87年の生涯。そんな畑さんが動物好きになったのは小学生の頃のある出来事がきっかけだった。旧満州(現中国東北部)で医師をしていた父と猟に出かけた時のこと。父からまだ、命のあるハトを連れ帰って治療するように命じられた。その際、指先から伝わってくるハトの体温と心臓の鼓動から命の大切さを学んだ。もう一つは旧満州から引き揚げ船で日本へ向かう海上での出来事。いつ船が撃沈されるか分からない死の恐怖の中、朝日を浴びながらジャンプするイルカの生命力に満ちた姿に生きる勇気をもらった。

 学生時代は東大理学部、同大大学院で運動生理学を学び、アメーバ観察などの研究に没頭。この間、大分県でともに中学時代を過ごした恋人で生涯の伴侶となる純子夫人と共同生活を始めている。その後、出版社の学習研究社に就職。ここで動物の記録映画製作に携わる機会を得た。しかし、会社組織になじめず、入社から7年後に事実上のクビに。退職後はコピーライターなどを経て作家に転身した。この頃、飼い始めた犬と犬小屋で寝食をともにするなど、のちの「ムツゴロウ」としての人生をスタートさせた。

 その後、動物との触れ合いを描く売れっ子作家となった畑さんの人生はまさに型破り。「ヒグマと暮らしたい」と家族を連れて電気、ガス、水道のない北海道の無人島へ移住したのはその一例。そんな生活の中で実践した「動物たちの中に入らないと分からない」という独特の濃密なスキンシップと観察眼により「われら動物みな兄弟」といった名作エッセーだけでなく監督、脚本を手がけた映画「子猫物語」(86年)など映像作品も世に出した。

 動物との触れ合い以外では勝負事に熱中。麻雀は日本プロ麻雀連盟の最高位である九段。タイトル戦「十段戦」を3度制している。“伝説の雀士”阿佐田哲也さんとも度々、雀卓を囲んでいた。晩年は56歳の時に始めたというゴルフにも熱中。ライオンに右手中指の先を引きちぎられた際「ゴルフのことが頭に浮かんだ」と話していた。

 2020年6月にはYouTubeチャンネル「ムツゴロウの656」を開設し、動物と触れ合う動画を投稿。3月26日の106本目が最後となった。ムツゴロウの「656」本の投稿を目指したが、志半ばでの旅立ちとなった。

 ≪93年スポニチ本紙に小説連載≫畑さんは93年2月13日から同9月12日まで、スポニチ本紙の社会面でブラジルのサンパウロを舞台にした連載小説「風と火のサンバ」を連載していた。日本の管理社会から脱出し、ブラジルに渡った元中央競馬会の騎手が主人公の人間活劇。タイトルについて畑さんは「風は馬、火は女の意味なんです」と説明していた。

続きを表示

この記事のフォト

2023年4月7日のニュース