【アニ漫研究部】「コウノドリ」鈴ノ木ユウ氏 ギター購入のため「湘爆サザエさん」描いた高校時代

[ 2022年10月15日 10:00 ]

作者・鈴ノ木ユウ氏が選んだ「コウノドリ 新型コロナウイルス編」の“イチオシ場面”(C)鈴ノ木ユウ/講談社
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 人気アニメの声優や漫画家に作品の魅力、イチオシ場面を聞く「アニ漫研究部」。今回は、出産の現場を描く人気漫画「コウノドリ」の作者・鈴ノ木ユウ氏のインタビュー後編です。元ミュージシャンという異例の経歴から漫画家になった経緯や、「コウノドリ」の誕生と今後について聞きました。

 「コウノドリ」誕生の原動力は、2008年に立ち会った長男誕生の感動と公言する鈴ノ木氏。だが35歳だった当時は、漫画家ではなかった。

 「その頃は『コウノドリ』を描こうと思ってもいないし、漫画を描いてもいなかったです」

 大学卒業後、音楽の道に進み、ソロやデュオ、バンドなどで活動。ギター、ボーカルを担当した。

 「都内のライブハウスなどで活動していたら芸能事務所から声が掛かり、契約しました。26歳の時です」

 当時の自身を「売れないミュージシャン」と振り返る。事務所も何年かしてクビになってしまった。

 「ライブに呼ばれたら演奏に行ってましたが、転がり込んだ今の奥さんの部屋にずっといることが多かった。ソファに体を沈めてギターを弾き、『暴れん坊将軍』を見て、奥さんが仕事に行くのを見送って…奥さんが帰ってきたら、まだ僕が同じ姿勢でギターを弾きながら『水戸黄門』を見ていたということがあって…あきれた奥さんに“きょう1日何をしていたの?”と怒られました。“何かしろ!”と」

 その時、相談したのが漫画家をしていた友人で、執筆作業を手伝ったことから漫画家デビューすることになる。

 「消しゴム掛けや、ベタ塗りしかやってないくせに“オレ漫画描けるんじゃないかなあ”なんて言ってしまったもんだから友達が怒っちゃった。“じゃあ描いてみろ”と。そのまま画材店に連れて行かれて道具を買い、漫画を1本描くことになりました(笑い)」

 このとき鈴ノ木氏32歳。週刊モーニング(講談社)に持ち込んだ作品が、ちばてつや賞を受賞する。

 「すぐに賞金25万円が入ってきた。漫画描いて、ロックやって生きて行けたらラッキーじゃんって、その時は思いました」
 少年時代から絵の才能はあった。

 「友達が貸してくれた『キン肉マン』3巻が面白くて。でも母親が教育熱心で、家に置いておけなかった。ノートに1冊まるまる描き写して机の中に隠して読んでいました」

 高校時代には、同人誌を作ったこともある。

 「近くの農協で同人誌即売会をやるから、漫画を描いて売らないかと友人に誘われた。僕は既に音楽にハマっていたけど“本を売ったらギターを買うお金くらいすぐできる”と言われて、その気になっちゃって(笑い)。好きだった『湘南爆走族』の絵柄でサザエさんのパロディーを描き、ギターを買うために貯めていた2万円で50冊印刷しました。結局、売れたのは2冊で、ギターは買えなくなっちゃったけど、うれしかったなあ」

 だが、漫画はこれで“卒業”することになる。

 「楽しかったけど、漫画は厳しいと思った。時間が掛かるし、やってられないと。バンドの方が楽しくて、それから全然描かなくなりました。僕にとって漫画は夢ではなかった。漫画家になれるとは思えなかった」

 それでも、絵は続けていた。大学は美術系の学部で油絵を学んだ。32歳での漫画家再挑戦で、賞が獲れたのと無縁ではないだろう。だが、再挑戦は妻の妊娠で再び中断することになる。

 「こりゃ漫画なんて描いてる場合じゃないと思いました。賞は取れたけど、連載を目指して作品を練り上げるのは心を削られる作業でもありました。編集者とも連絡を取らなくなり、漫画を辞めて、ラーメン店と牛丼店でバイトを始めました」

 なかなか軌道に乗らない鈴ノ木氏の「まんが道」。バイトと育児に忙殺されながらも家族と充実した時間を過ごしていた。だが、やがて話し始めた長男の言葉が、鈴ノ木氏を漫画の道に引き戻す。

 「彼に“お父さんの仕事は何?”と聞かれました。“バイトだよ”と答えたら、彼は“父さんはバイトかー。父さんはバイトだ。父さんはバイト”と咀嚼(そしゃく)するように何度も繰り返してました。そしたら僕、急に悲しくなってきて。もちろん彼はバイトが何かも分からず、どこか誇らしげに話しているようにも見えました。何かしなくてはいけないと思いました」

 疎遠になっていた編集者に連絡を入れ、再び漫画賞に挑戦、漫画誌での短期連載、本連載を目指すトライを繰り返す中で「出産」を題材に選んだ。長男誕生で感じた「人生で一番うれしかった瞬間」を描きたいと思った。それが2012年に発表された「コウノドリ」。命の重さと、きれい事だけではない医療現場の現実を丁寧に描いた名作は20年4月まで7年半続き、連載は終了した。新型コロナウイルスの感染拡大が顕著になった時期だった。

 「終了は随分前に決めてましたが、ここまでコロナが深刻な事態になるとは…。漫画家を含め、エンターテインメントに関わる人にとっては、受け取る側が100%楽しめない状況で苦しいだろうなと感じていました」

 そんな中、一度は終えた「コウノドリ」を思わぬ形で復活させることになる(前章参照)。新型コロナウイルスに込めた思いを語る。

 「コロナ禍はまだ終わっていないので、ラストをどうするかは迷いました。でもコロナという社会を大きく変えたことがあっても“出産より凄いグッドニュースはない”という思いを描きたかった」

 今も「漫画家は自分の夢ではない」と語る鈴ノ木氏。

 「本当は一日中ぼーっと空を見ながら、気づいたら夕方じゃん…みたいな生活がしたいんです」

 その言葉と裏腹に、今年4月から「新型コロナウイルス編」とともに週刊文春で「竜馬がゆく」の連載を始め、これまで以上に多忙な生活に身を投じることになる。

 「こんなはずじゃなかった(笑い)。2本同時連載なんて絶対無理だと思いましたが、時代劇は大好きで、こんな良いお話もない。でも人生ってそういうものですよね。思いもしない方向に行って“こんなはずじゃなかった”と思いながら“ちょっと無理すっか”って頑張って進んで行くのもいい」

 「コウノドリ」は今後も続くのか。

 「コウノドリは取材もめちゃくちゃ大変で…『竜馬』と同時は厳しいなあと思いつつ、描きたい気持ちもどこかにあって。僕にとっても大切な作品。これで最後ですとは言えない。何かあった時にまた描ければという気持ちは頭の片隅に常にあります」

 「新型コロナウイルス編」の最後のページは、主人公の産婦人科医師・鴻鳥サクラがマスクを外して「またね」というシーンで締めくくられた。コロナ禍の終わりと、コウノドリの再開に期待したい。

 ◆鈴ノ木ユウ(すずのき・ゆう)1973年(昭48)生まれ、山梨県出身。大学卒業後、ミュージシャンとしてバンド活動やソロ活動を経て、2006年から漫画家を目指す。07年、第52回ちばてつや賞で「東京フォークマン/都会の月」が準入選。10年、第57回の同賞で「えびチャーハン」が入選し、モーニングでデビュー。「コウノドリ」は12年からの短期集中連載を経て、13年から通常連載に。同作で16年の講談社漫画賞・一般部門を受賞。週刊文春で今年4月から司馬遼太郎原作の「竜馬がゆく」も連載中。

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