米国拠点の野沢直子 渡米のきっかけは人気お笑いコンビらとの共演で感じた挫折「こんなに凄いんだと」

[ 2022年10月12日 12:47 ]

野沢直子
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 米国サンフランシスコ在住のお笑いタレント・野沢直子(59)が11日、テレビ朝日系「証言者バラエティ アンタウォッチマン!」(月曜後11・45)に出演。渡米を決意した理由を語った。

 野沢は1984年にデビューすると、3年後にはフジテレビ「笑っていいとも!」のレギュラーとなるなど、またたく間にお茶の間の人気者に。だが、1991年、全ての仕事をやめ、渡米した。

 転機となったのは、1988年にスタートしたフジテレビ「夢で逢えたら」。ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコとともに出演した伝説のコント番組だったが、野沢は「みんな同世代。スタッフも若い人がやってて、部活みたいな」感覚だったと振り返った。

 当時の野沢について清水がVTRで証言。「その頃は怖いものなしの感じだったのでうらやましかったですね。楽屋の態度と、カメラ回った時の態度が一緒だったというか。私なんか怖くて怖くて。それで本番になるとやっと頑張るぞっていう感じだったんですけど、それが全然なく思えて、凄いなって思ってました」と語った。

 番組は放送開始の半年後には深夜番組から土曜夜11時30分からの全国ネットに昇格し、社会現象となり、最高視聴率は20・4パーセントをマークしたこともあった。だがそんな中で91年、野沢は番組を降板し、渡米した。それまで順調に結果を残して来た野沢だったが、番組で初めての挫折を味わったためだった。

 野沢は「ほかの5人全員が面白くて 自分だけそうでもない。みんなの足を引っ張りたくない、と毎回思ってた」とVTRで回想。スタジオでは「同い年ぐらいだっていうのがあるから、それなのにこんなに凄いんだと思って、そこで初めて真剣に考えちゃって。あれ?ちょっと人生ってチョロくないんだと思って」と語り、「みんな凄く引き出しがある。アドリブ的なものが凄いある。自分もアドリブ的なことを一生懸命言うけど、かなわないなって凄い思ってて。あとキャラクターの作り方とかが凄いみんなうまくって、あ、できないな…ってなんか」と続けた。

 野沢は再びVTRでは「テレビに出始めて、あっという間に売れて、自分には引き出しがないんだと思った」とも告白。「どこかで修行してみたいけど、どこだろう。そうだ、こういう時、ドラマだとみんなニューヨークに行くから、ニューヨークに行っておけ、と思って飛行機に乗った」と渡米を決意した経緯を明かした。

 そんな野沢の苦悩について、VTRで再び登場した清水は全く気付かなかったとし、「やめて向こうに行っちゃったってことはそういうことなんだよね。びっくりしたその話を聞いて。(挫折しているとは)感じてなかったです」。渡米については別の番組の控室で知らされたとし、「超びっくりした。なんでって聞いたら、“あっちでやってみたくなったんで”って言ったので、まだまだ上を目指すんだ。そういうふうにも見えたしね。だけど、お笑いの土壌って向こうと全然違うから、それが通じると思ってんのかなと思ったんですけど」と冷静に語った。

 ダウンタウンやウッチャンナンチャンの反応については「珍しく落ち込んでたっていうか、寂しそうでしたよ。(『夢で逢えたら』の)最終撮りの時は。あれ、今ちょっとウルっときたんじゃないか?って思ったくらい」と話した。

 野沢の渡米は、業界内でも騒動となったというが、野沢は「事務所には1年で帰りますとウソをついた。レギュラーでやっていた番組の人たちにもニューヨークに行くとは言わずに、ただやめた」と説明。スタジオでも「多分、帰らないだろうなと思ってて。そういうと驚くかもしれないと思ったから。“まあ1年で”ってちょっとウソついとこうかなと思って」と笑ってみせた。

 そうして渡米すると、コメディーショーなどに積極的に出演、現在もバンドなど米国で活動をしながら、毎年夏に日本で仕事をするスタンスを貫いている。

 野沢は米国で得たものについて「全然売れてないけど、なんだか楽しかった。野沢直子なんてまったく知らない外国人の前に出て行くのは怖いけど、面白い」と述べた。

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