岸部四郎さん死す、71歳 「ザ・タイガース」からマルチな活躍 借金5億円超え、闘病…波乱の人生

[ 2020年9月16日 05:30 ]

岸部四郎さん死去

13年12月、ザ・タイガース再結公演に車椅子で登場した岸部さん
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 グループサウンズ「ザ・タイガース」のメンバーで、俳優や司会者としても活躍した岸部四郎(きしべ・しろう)さんが8月28日午前4時33分、拡張型心筋症による急性心不全のため千葉県内の病院で死去したことが15日分かった。71歳。京都府出身。葬儀は近親者で営んだ。サイドビジネスの失敗などで5億円を超える負債を抱えて99年3月に自己破産。加えて病魔にも襲われ、波瀾(はらん)万丈の人生を送った。

 日本テレビのワイドショー「ルックルックこんにちは」の司会者としてお茶の間にも親しまれた四郎さんが逝った。闘病しながら復帰を目指したが、その日は訪れなかった。

 所属事務所によれば、03年に脳出血で倒れ、視野狭窄(きょうさく)やパーキンソン病も患って入退院を繰り返していた。姉が住む千葉県の病院でリハビリを続けていたが、容体急変が未明だったため、兄で俳優の岸部一徳(73)は臨終に間に合わなかった。

 最後の公の場は13年12月27日に東京ドームで行われたザ・タイガース再結成公演で、車椅子に乗ってサプライズで登場。ザ・ビートルズの名曲「イエスタデイ」をフルで歌唱し、4万5000人のファンを喜ばせた。

 四郎さんはタイガースに「岸部シロー」の芸名で1969年に加入。脱退した「トッポ」こと加橋かつみ(72)に代わって声が掛かった。音楽活動をしながら俳優としても活躍。テレビドラマ「西遊記」の沙悟浄役は人気を呼んだ。84年には「ルックルックこんにちは」の司会にも起用されたが、好事魔多し。ディスコ経営などサイドビジネスに手を出し、バブル崩壊などもあって借金を抱えた。

 85年には最初の妻と離婚。豪邸の住宅ローンの支払いや、月120万円という、2人の子供の養育費なども重荷になった。致命傷となったのが97年にタイガースの同僚だった森本太郎(73)の事務所が倒産したこと。連帯保証人だった四郎さんに5000万円の負債が加わった。

 土地など担保を持っていなかった四郎さんは違法な利息を課す「ヤミ金融」にも手を出し、借金は雪だるま式に増えていった。利息だけで毎月1200万円。厳しい取り立てから逃れるために潜伏生活まで送った。債権者は69人を数え、負債総額は5億2000万円。「ルックルックこんにちは」を降板し、98年7月に東京地裁に自己破産を申請。99年に破産宣告を受けた。

 地獄のような日々を支えたのが94年に再婚した14歳年下の妻、小緒理さんだが、心不全のため07年に43歳の若さで急死。失意の日々はなお続いたが、四郎さんはお笑い番組に出演したり、自虐的本を出版するなどしてしぶとく生きた。壮絶な人生に今、幕が引かれ、愛妻のもとに旅立った。

 ◆岸部 四郎(きしべ・しろう)本名同じ。1949年(昭24)6月7日生まれ、京都府出身。印刷会社で2年間勤務し、69年にザ・タイガースに参加。71年のグループ解散後は俳優としてドラマ、映画に出演。84年、沢田亜矢子の後任として「ルックルックこんにちは」の司会を担当。破産後もバラエティー番組のほか、フジテレビドラマ「電車男」(05年)、TBSドラマ「クロサギ」(06年)などに出演した。

 ▽ザ・タイガース 岸部修三(現一徳)、加橋かつみ、森本太郎、瞳みのる(73)のバンドに66年元日、沢田研二(72)が加入し「ファニーズ」として結成。大阪のジャズ喫茶で人気を博し、ステージを見た故内田裕也さんに見いだされて上京。グループ名を変え67年「僕のマリー」でデビュー。「君だけに愛を」などのヒット曲を生んだ。GSブームの終わりとともに71年に解散。

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