西武激震 松井監督解任 「休養」も事実上…開幕2カ月足らず「結果を出せなかった」 渡辺GMが代行

[ 2024年5月27日 05:30 ]

<西・オ>取材に応じる松井監督(撮影・白鳥 佳樹)
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 西武は26日、成績不振のため松井稼頭央監督(48)が休養し、渡辺久信ゼネラルマネジャー(GM=58)が27日付で監督代行に就くと発表した。背番号は「72」。就任2年目の松井監督はここまで15勝30敗の最下位に低迷しており、事実上の解任。元監督の渡辺GMは交流戦初戦となる、28日の中日戦(バンテリンドーム)から11年ぶりに指揮を執る。 

 オリックス戦に勝利した直後、球団がベルーナドームで松井監督と話し合いの場を設け、休養を発表した。急転直下、事実上の解任。あす28日からの交流戦を前にてこ入れを図った。ノックバットなど用具一式が車に積み込まれ、球場を去る松井監督は「(休養は)意識していなかった。自分が結果を出せなかったので、受け入れている。ファンの方の期待に応えられなかったのは申し訳ない」と無念さをにじませた。

 3年契約とみられるが2年目の序盤でチームを離れる。就任した昨季は65勝77敗1分けの5位で今季も15勝30敗の最下位と低迷。チーム打率・214は12球団ワーストと深刻な貧打が響いた。18日に球団史上最速となる39試合目で自力優勝の可能性が消滅し、首位ソフトバンクとは15・5ゲーム差。チーム得点数も197と118で大きく離されている。

 選手、スタッフには緊急ミーティングで思いを伝えた。「勝ちに結びつけられずに申し訳ない。一緒にもっとやりたかった」と絞り出した。引退翌年の19年から2軍監督を3年間務めるなど若手の育成に取り組んできたが、レギュラーとして一本立ちした野手は出ていない。「勝ちながら、若い選手を育てるというのも含めて、結果が出せなかった」と歯がゆそうにこぼした。

 渡辺GMの会見も緊急で行われた。球団では数日間協議が行われ、GMと監督代行の兼務が決まった。まず編成部門の責任者の立場として「チームを全体的に見る立場として非常に申し訳ない」と謝罪。「プロ野球人生を懸けて挑んでいきたい。非常に厳しいシーズン、タフな戦いにはなる」と覚悟も口にした。他球団では21、22年に楽天を石井一久GM兼監督が率いた例があるが、極めて異例の形での兼任となる。現場から10年間離れていたが、08年から6年間西武監督を務め08年に日本一に輝いた実績を持つ。「不安はあったが自信を持ってチームを引っ張っていきたい」と語る。コーチ、選手に「俺についてきてくれ」と言葉をかけた。

 コーチ陣は現メンバーのまま、1、2軍の配置転換も行わずに役割を全うさせる。開幕から45試合目で、電撃的な指揮官交代劇となった。(神田 佑)

 ◇松井 稼頭央(まつい・かずお)1975年(昭50)10月23日生まれ、大阪府出身の48歳。PL学園では2年春の甲子園に出場。93年ドラフト3位で西武入団。98年にMVP。盗塁王3度、最多安打2度。04年からメッツ、ロッキーズ、アストロズでプレー。11~17年に楽天、18年に西武に復帰し同年限りで現役引退。日米通算2705安打で打率.285、233本塁打、1048打点、465盗塁。19年から西武2軍監督を務め、22年は1軍ヘッドコーチ、23年から1軍監督。右投げ両打ち。

 ▽西武監督の途中休養 西鉄時代には中西太選手兼任監督が65、69年の2度休養。65年は負傷のため、4月19日から5月10日までの13試合を欠場し深見安博が監督を代行した。69年は成績不振で5月23日から休養。6位だったチームは鬼頭政一代行の下で4位まで浮上し、6月14日から中西氏が監督に復帰したが、結局5位に沈み10月9日に3試合を残して退任した。14年は伊原春樹監督が成績低迷により、6月4日に休養を発表。田辺徳雄打撃コーチが監督代行を務め、翌年から監督に正式就任した。

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