栗山英樹監督 ドラフト外でヤクルト入団 救ってくれた2軍監督の言葉とは… メニエール病とも闘う

[ 2023年3月5日 12:30 ]

侍ジャパン・栗山監督

 第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場する侍ジャパンの栗山英樹監督(61)が4日放送のTBS「人生最高レストラン」(土曜後11・30)にゲスト出演。選手時代を振り返った。

 栗山監督は東京学芸大卒業後にヤクルト入りしたが、入団当初から逆境の連続だったという。甲子園の経験などもなく、「僕、テスト生なんですよ。ドラフト外ってやつで。野球好きでプロに入れさせてもらってって感じなんです」と明かした。

 当時について「いやあ、もう入った時に、“やめときゃよかった”って。みんな野球うまかったです。どう練習しても追いつかないなっていう、まあ、そうじゃなかったんですけど、きっと。そのぐらい感じちゃいました」と回顧。だが「その時の2軍監督が巨人のテスト生第1号でレギュラーになった内藤博文さんだった」と振り返り、全体練習後には「栗やるか?」と声をかけられ、ノックをしてもらうなど、面倒をみてもらったとした。

 内藤さんからは1年目の1軍が開幕する際には「栗、人と比べるな。俺はお前がほんのちょっとでもうまくなってくれれば満足だ。1回でもいいから1軍行ってみろ、いいところだぞ」と言われたとし、「なんか凄い吹っ切れましたね。要するに下手くそでもいいんだって認めてもらったので」と栗山監督。「そういう感覚が自分の監督像の中に凄くあって」としみじみと話した。

 だが「とにかくがむしゃらにやればいいんだって思ってやってる時に、僕メニエール病って病気になって。めまいで苦しむっていう」出来事もあった。「メニエールになった時に野球もうできないって思ってて、もう1人だけキャンプ行かなかったりとかいろんなことがあったんですけど、実際にグラウンドに苦しかったんですけど戻れたときに、なんか野球やるのが凄い楽しくて。なんか“結果いいじゃん、野球思いっきりやろう”って病気がなんか思わせてくれたっていう。それで少しずつ結果が出て来て。自分でも試合に出してもらった」との変化があったとした。

 そうして3年目にはレギュラーを獲得、1986年には打率・301、88年には・331、89年にはゴールデングラブ賞を獲得するなど活躍したが、病気が再発。わずか7年で現役引退し、その後は解説者やキャスターとして活躍、50歳の時に日本ハムの監督に大抜てきされたとした。

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2023年3月5日のニュース