世界の頂点立った“代役侍”が注ぐ熱視線 侍追加招集の牧原大に「求められているからチームに呼ばれた」

[ 2023年3月5日 17:31 ]

ロッテ・栗原健太2軍打撃コーチ
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 “遅れてきた万能侍”に誰よりも熱い視線を注ぐ男がいる。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日の丸を背負い戦ったロッテ・栗原健太2軍打撃コーチ(41)は、さわやかな笑顔で牧原大への思いを語った。

 「気持ちは、本当によく分かりますからね。自分はアメリカでチームに合流したので、状況は少し違いますけど、とにかくどんな状況でも、遠慮することなく“自分”を出し切ってほしいですよね」

 自らと重なる部分がある。だからこそカブス・鈴木誠也選手(28)の代替選手として、侍ジャパンに召集されたソフトバンク・牧原大成内野手(30)を、親近感を持って見守る。

 WBCでの故障による代表メンバー入れ替えは過去4人。そのうちの1人が当時、広島の絶対的主砲だった栗原コーチだ。宮崎での代表選考合宿で一時は落選。しかし米国での第2ラウンド・韓国戦で村田修一(横浜)が右太もも肉離れを発症したことを受け、突然の出番は巡ってきた。

 「マジかって感じではありましたよ。“嬉しい”とか“さあ、やるぞ”って感情ではなく“え、え、えっ”って、自分の知らないところで物事が進んでいくような感覚でしたね」

 落選から約1カ月後の日本時間3月20日。高松でのオープン戦前にマネジャーから緊急招集を告げられた。試合前に、一旦、自宅のある広島へと戻り、慌ただしく荷造りを終えると決戦の地・ロサンゼルスへ。現地時間3月21日。ロス到着後は宿舎に寄ることなく、練習場へと直行した。

 「バタバタですし、不安しかなかったですよ。1カ月前までは輪の中にいたけど、後から行くのではどうしても温度差があるじゃないですか。チームの雰囲気だって全く分からないし」

 強靭なメンタルを持つ男でも、やはり途中から国を背負う戦いに加わることへの戸惑いはあった。そんな中、練習場で久々に対面した“仲間たち”が不安を見事に消し去ってくれた。原監督からは満面の笑顔で出迎えられ、アップ中にはチームの柱だったイチローが気さくに声をかけてくれた。さらに当日夜、野手陣の決起集会に参加し、焼き肉を共にした。「気持ち的には少し、楽になりましたね。みんなの熱い思いを感じて、絶対に頂点に立ちたいと思った」。侍の一員になれたと思った瞬間だった。

 準決勝では代打出場で空振り三振、決勝は「7番・DH」でスタメン出場も、空振り三振と三ゴロ併殺に終わった。頂点を極めたチームに「貢献した」とは胸を張って言えない自分もいる。ただ経験は何物にも代え難い。14年が経った今では手にした金メダル同様に、2三振1併殺も「勲章」に思う。

 「結果に対する悔いは全くないです。振ることができたので」

 打つことを求められてチームに召集された。ならば、バットを振らなければ何も起こらない。「準決勝は足が震えてましたよ。足場固めるときに“ああ、震えてる”って自分で思いました。ただ、絶対に振ると決めて打席には入りました。自分でゾーンを決めて、ある程度のところに来たら絶対に振る、と」。

 極限の戦いの中でのメンタルの保ち方、ロッカールームが隣だったイチローはじめ、超一流の試合に向かう心身の準備を間近に見るなど、経験したすべてが財産となった。「まだまだ自分には、あの場面で結果を出せるような実力が足りないと再認識することができました。誰もが経験できるわけではない舞台で、それを感じられたのは本当に大きかった」。指導者となった今、あの時の経験が根底に生きている。

 野球人生は長く続いていく。だからこそ結果はどうであれ、牧原大にも悔いを残してほしくない。「大きな大会に途中から行く人の気持ちはだいぶ、分かるんですよ」と豪快に笑いながら「求められているからチームに呼ばれた。だから結果を考えず、求められていることを全力でやることが大事だと思います。彼の場合は万能性というところだと思いますが、打席にしても守備、走塁にしても、できる全力を出してきて欲しい」。熱い思いを胸に、自らが頂点に立った09年以来の世界一へと向かうチームを見守る。

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