愛工大名電エース・有馬の向こうに見えた41年前の工藤

[ 2022年8月8日 04:06 ]

第104回全国高校野球選手権第2日・1回戦   愛工大名電14―2星稜 ( 2022年8月7日    甲子園 )

<愛工大名電・星稜>愛工大名電の先発・有馬(撮影・岸 良祐)
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 【秋村誠人の聖地誠論】古い、と言われるかもしれない。でも、筆者の脳裏に強く残るイメージは確かに違った。今の大型ビジョンではなく、名前も校名も手書きのスコアボードの時代で、この2校は思い出深い。

 第2試合。愛工大名電(愛知)と星稜(石川)の名門対決は、それぞれのレジェンドOBの名前を借りて「イチローVS松井秀喜」と称する声が圧倒的だった。両雄の日米での活躍ぶりを振り返れば、当然だと思う。

 それでも、だ。筆者にとっては愛工大名電といえば、校名が「名古屋電気」だった時代の工藤公康(前ソフトバンク監督)のノーヒットノーランであり、対して星稜は箕島(和歌山)と演じた伝説の延長18回の死闘になる。同年代に野球をやっていた者として、両校ナインの向こうに40年ほど前の懐かしい思い出が脳裏に浮かんできた。

 試合は序盤で思わぬ大差がついた。強打に足を絡めた愛工大名電らしいそつのない攻撃。15安打で14点を奪った。それもまた伝統だ。「7番・右翼」の美濃十飛(しゅうと=3年)は4安打で6打点。巧みなバットコントロールは偉大な先輩のDNAだろうか。そしてエース・有馬伽久(がく=3年)は6回に左足がつりながらも力投。奮闘する愛工大名電の背番号1の左腕の向こうに見えたのが、41年前の工藤だった。81年の夏。長崎西戦で16三振を奪い、ノーヒットノーランを達成した。これが金属バット導入後初の快挙。鋭く縦に曲がり落ちるカーブを見て「こんな球、どうやって打つんだろう」と思ったのを覚えている。

 当時、スポニチ本紙に掲載していた「甲子園の詩」で阿久悠さんは、そのカーブを「懸河のドロップ」と称し、工藤の出現を「大器とか、逸材とか、目玉といった評価とは違った。少年名投手の感じがして好ましかった」とつづっている。まるで野球小僧が突然躍動したような、そんな感じだった。

 スコアは14―2。だけど、点差は関係ない。セピア色だった思い出をフルカラーでよみがえらせてくれた。それもまた甲子園なのだろう。(専門委員)

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